むかちん歴史日記118 アニメーションに大きな功績〜高畑勲
新宿から歴史を発信!!むかちんです(〃^∇^)o_彡☆
今日はアニメに大きな功績を与えた
高畑勲さん(1935-2018)
を紹介します😋😋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%95%91%E5%8B%B2
◆大学卒業後に東映動画に入社し、
テレビアニメ「狼少年ケン」で演出デビューを果たします。
日本アニメーションに移籍したのちは
『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』の演出を担当、
徹底的に調べ上げ、リアリズム溢れるアニメを構築し、設計担当の宮崎駿らに多大なる影響を及ぼしました。
『未来少年コナン』では初監督を務めた宮崎駿をコンテ・演出の部分からアシストしました。
楠部三吉郎がドラえもんの再アニメ化を構想して、藤本弘(藤子・F・不二雄)に持ち込んだ際、企画書の執筆をしたのも高畑勲で、楠部は高畑を「ドラえもんの恩人の一人」と評しています。
◆その後、宮崎駿が監督を務める『風の谷のナウシカ』のプロデューサーを務めます。
ナウシカが興行的に成功を収め、宮崎は高畑の監督作品を次は作ろうと提案し、
『柳川堀割物語』を製作しますが、高畑が莫大な制作費を費やしたため
新作アニメーション映画を作って、そこでの収入で回収するしかないという結論に至り
宮崎は『天空の城ラピュタ』製作のために奔走するのです。
その際に高畑の提案で「スタジオジブリ」を設立しますが、
高畑自身は作り手は経営には関わらないというスタンスで、その後一切、役員には就任しませんでした。
◆高畑は1988年に『火垂るの墓』、1991年『おもひでぽろぽろ』、1994年『平成狸合戦ぽんぽこ』、1999年「ホーホケキョとなりの山田くん』で監督を務め、特にぽんぽこは自身のオリジナル作品でありながら、興行収入26億円と高畑監督作品でトップの成績を収めます。
◆ちなみに『風の谷のナウシカ』以降、音楽を久石譲が担当していますが、
まだ無名だった久石を抜擢したのも高畑でした。
◆名言
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・「聞いておぼえる」とか「教えてもらえる」ということについては、地位がある人であるほど不利になるわけです。社長なんかになったら、誰も何も教えてくれない。むしろ、まったく無視されているぐらいの立場のほうが、自分の意欲と好奇心さえあれば、いろんなことが学べるんです。
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・これは他の分野にも言えることだと思うけど、「どれだけ好奇心を持って、自分で勝手に課題を立てて疑問を持てるかどうか」ですよね。課題や疑問を持つ能力がなかったとしたら、当然、それに伴う問題解決もありえない。
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・与えられた仕事がつまらないとか、「教育してくれない」とか「自分の才能を生かしてくれない」などと、会社が自分のほうを向いてくれないことにただ不満をつのらせるだけではどうにもなりません。そんなヒマがあったら、その間に自分でおぼえられるものは、みんなおぼえようとすればいい。
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・自分で描かないという立場であれば、才能を持っている人を自分の色にねじふせて絵を描かせるのではなくて、「その人の絵の才能を発揮してもらう」という方向にもっていけるのではないでしょうか。いや、もっていくしかないんです。
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むかちん