むかちん歴史日記520 古代ヨーロッパ世界⑩ 古代ローマ~ポエニ戦争
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
引き続き、古代ローマについて語らっていきましょう(*^▽^*)
◆すべての道はローマに通ず
イタリア半島を統一し、内政では街道を整備して、ローマと周辺部族をつなぐ道を舗装して、道幅を広げ、橋をかけて、トンネルを掘って、まっすぐに直されました。
国土開発と言える規模でのローマのこの街道整備によって、世界各地からの道が首都ローマに通じていたという意味から、17世紀の詩人ラ・フォンティーヌが「すべての道はローマに通ず」と言いました。これは現在では「目的のための手段は何通りもある(どの道を通ってもローマに通じているのだ)」ということの比喩として使われています。
◆ポエニ戦争開戦の背景
そもそもポエニ戦争とは何か。これはローマとフェニキア人植民市が発展してできた商業国家カルタゴによる西地中海の覇権をめぐる争いで、このポエニ戦争は3度にわたり繰り広げられます。
事の発端は、シチリア島で東北部を占拠する傭兵団「マルティニ」がシラクサ王ヒエロン2世の討伐を受けた際に、ローマとカルタゴの双方に援軍を求めたことが始まりでした。
参照元 https://rekisi.info/poeni.html
ここでローマとカルタゴが互いの覇権をめぐって激突します。
◆ポエニ戦争の経過
・紀元前264-紀元前241 第一回ポエニ戦争
シチリアが主な主戦場となって20年にわたる戦争が起こります。
これに勝利したローマはシチリア島をはじめて属州として獲得します。
このときにできたローマの版図が現在のイタリア領を形成しています。
カルタゴの名将ハンニバルを中心にローマへの復讐を開始します。
ハンニバルについてはこちらも見てください(((o(*゚▽゚*)o)))
当時の状況として、地中海はローマが押さえていたので、ここをカルタゴが越えることはできませんでした。
カルタゴはイベリア半島を手中に収めていたので、ハンニバルは荒業にでます。
なんと厳しいアルプス山脈を越えてローマに背後から侵入したのです。
参照元 http://shomon.livedoor.biz/archives/52149102.html
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9%E8%B6%8A%E3%81%88#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hannibal_crossing_the_Alps_into_Italy.jpg
ローマ軍はこれに驚愕し、必死に戦うものの紀元前216年、カンネーの戦いでローマは大敗を喫します。
しかしハンニバルが優勢に事を進めることができたのはここまでで、ローマがここから思いのほかふんばり、一進一退の攻防となります。
そこに登場したのがローマの将軍スキピオです。
彼はヒスパニアに侵攻して、これを占領し、さらにはカルタゴ本国に攻め入ります。
カルタゴは慌ててハンニバルを呼び戻しますが、ザマの戦いでローマに敗北し、結局カルタゴは賠償金の支払いとローマに許可なく戦争を行うことを禁止させられました。
・紀元前149年-紀元前146年 第三回ポエニ戦争
スキピオの長男、小スキピオに率いられたローマ軍がこの戦争でカルタゴを完全に滅亡させ、カルタゴは一面廃墟に、生き残ったカルタゴ人も奴隷として売りさばかれました。
https://www.hankyu-travel.com/heritage/africa/carthage.php
むかちん