むかちん歴史日記519 古代ヨーロッパ世界⑨ 古代ローマ~ローマ共和政への移行と半島統一戦争
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前回に続いて、ローマについて語らいます。
◆王政から共和政への移行
紀元前7世紀にこのローマという地域はエトルリア人の勢力がおよんで、エトルリア人による王政が行われました。
このエトルリア人の手によって、それまでは一集落に過ぎなかったローマが都市化し、ラティウムでも有力な都市となるのです。
都市形成の過程で有力者の子孫は貴族の合議体として、元老院を設立します。
元老院議員の地位は貴族が世襲的に独占し、紀元前509年に独裁的な王を追放して、共和政へと移行しますが、これはいわゆる貴族共和政で、貴族(パトリキ)と平民(プレブス)の間には明確な格差が生まれていました。
王に代わって執政官(コンスル)と呼ばれる2人が政治を行い、これも貴族から選出されました。
経済の発展によって平民も次第に力をつけていき、彼らは武器を自弁して重装歩兵となり、ローマの防衛と拡大に寄与したことによって貴族に対して、政治的平等を要求するようになります。
ここから貴族と平民の間で権力闘争が勃発します。
紀元前494年の聖山事件を皮切りに、平民会と護民官の設置、十二表法による成文法の制定、紀元前367年にはリキニウス・セクスティウス法で護民官の一人は平民から選出されること、貴族の公有地占有の制限などで平民と貴族が同等の権限をもつローマ共和政が樹立されていきました。
◆半島統一戦争
参照元 https://www.y-history.net/appendix/wh0103-020.html
共和政への移行と並行して行われていたのが、半島統一戦争です。
紀元前340年にイタリア人の一派であるラテン人のラテン同盟と戦争し、紀元前338年にはラテン同盟をローマが制圧、半島中部のサムニウム人もエトルリア人、ガリア人を巻き込んで、制圧、イタリア半島南部のギリシア人植民市も制圧して、次々にローマの領地に収めていきます。
そして、ローマはイタリア半島を統一するに至るのです。
むかちん