むかちん歴史日記521 古代ヨーロッパ世界⑪ 古代ローマ~マケドニア戦争:マケドニアのローマへの挑戦
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今日も古代ローマについていろいろと語らいます。
◆マケドニア戦争
参照元 https://rekisi.info/makedonia.html
時を前回から少しだけ巻き戻して、第二次ポエニ戦争と第三次ポエニ戦争の間の時期。
紀元前215年にローマとマケドニアで戦争が起こります。
これが第一次マケドニア戦争です。
当時のマケドニア王はフィリッポス5世。
彼らは当時、ギリシアに影響力を持ち、ローマの勢力拡大は危険だと考えていたので、カルタゴのハンニバルと同盟を組みました。
第一次マケドニア戦争へと突入しますが、カルタゴと戦争真っ最中のローマとしては戦線拡大をしたくないのが本音で、紀元前205年、マケドニアを完全にたたいたりはせずにギリシアをマケドニアから解放したところで、マケドニアの顔を立てて条約を結び、ギリシアからも支持を得られるようにします。
こんなローマの意図とは裏腹に、マケドニアは執念深くローマへ戦いを挑みました。
次にシリアを同盟を組んで、ローマへ挑み、紀元前200年から第二次マケドニア戦争へと突入していきます。
これもローマが勝利を収め、またしてもローマはさっさと撤退します。
こののち、ローマはシリアにまたしても侵攻されますが、これも駆逐。
さらにギリシアでは貧富の差が拡大して、富裕層がローマ側についたので、貧困層はマケドニアに期待し、これを受けてフィリッポス5世のあとを受け継いだペルセウス王は第3次マケドニア戦争をローマに仕掛けます。
このときのローマはそれまでとは違い、徹底的にマケドニアを叩き、紀元前168年にアンティゴノス朝マケドニアは滅亡します。
そして紀元前149年にマケドニアはローマの属州となるのです。
この一連のマケドニア戦争の際に流入してきたのがヘレニズム文化で、これによりローマのそれまでの文化が大きく変わっていきました。
むかちん