むかちん歴史日記523 古代ヨーロッパ世界⑬ 古代ローマ~第一回三頭政治
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日もローマについて、語らっていきます✨
◆有力なリーダーの登場
グラックス兄弟の改革の失敗以後、内乱の1世紀へと突入しますが、
その中でも有力なリーダーが登場します。
・マリウス
マリウスは国防の強化と貧困層のさらなる貧困化を食い止めるために給料を払う傭兵制を導入します。
この時代の通常は、自身で武器や防具をそろえて重装歩兵として活躍するのが当たり前でしたが、貧困層はそれを買うことすらままならなかったのです。
これは国防を担う人間が減ってしまうことを意味していました。
実際、マリウスは彼らを使って、ゲルマン人や北アフリカの反乱を鎮圧するものの、結局傭兵たちはローマに忠誠を尽くすのではなく、金の出どころである将軍に忠誠を尽くすようになるので、国の安定化というより、有力な将軍が権力を掌握していく構図が生まれていきました。
・スラ
平民を支持基盤にした平民派のマリウスに対し、名門出身の保守層を支持基盤にする閥族派のスラ。
スラはイタリア同盟市戦争を彼らに市民権を付与することで鎮圧します。
そしてマリウスと対立して勝利し、平民派を粛清していきます。
紀元前73年に剣奴とよばれる剣による殺し合いの見世物をさせられていた奴隷たちが起こしたスパルタクスの反乱を鎮圧したのがポンペイウスとクラッススです。
そして紀元前63年にはポンペイウスがセレウコス朝シリアを滅亡させます。
・カエサル
スラに敗れたマリウスの甥にして、スラが亡くなったあとに平民派として台頭します。
◆第一回三頭政治
参照元 http://histrace.com/overview_history/rome_dictator_peace/
カエサルが執政官(コンスル)に立候補したころ、有力者といえば、クラッススとポンペイウスでしたが、彼らは元老院に対抗はしているものの、二人の間でも対抗心がありました。
カエサルは元老院に対抗する政治勢力を作っていくためには、この2人の対立を辞めさせて、組んでいく必要があると悟っていました。
そこで誕生したのが第一回三頭政治です。紀元前60年のことです。
これは元老院に対抗するためのカエサル・クラッスス・ポンペイウスの3人によるいわば秘密同盟に近いものでした。
三頭政治成立後、彼らは民衆の支持を集めるため、遠征に出かけました。
このとき、クラッススはパルティアへ遠征に行きますが、戦死してしまいます。
カエサルはガリア遠征を行い、ガリア人の強い抵抗に遭いますが、紀元前50年までにカエサルによってガリアはほぼ平定されました。
この記録としてカエサルは『ガリア戦記』を残しており、貴重な記録とともに優れたラテン文学として現在にも継承されています。
◆三頭政治の崩壊
ポンペイウスだけがローマに残っていましたが、クラッススが戦死し、三頭政治のバランスが崩れ始めました。
ポンペイウスはいずれカエサルが自分の政敵になると元老院政治家にそそのかされ、カエサルと対立をしていくようになります。
そしてポンペイウスがカエサルを裏切った瞬間がローマにもどって、執政官に再び立候補しようとしたときにポンペイウスが妨害をしたことでした。
これにより裏切りに気づいたカエサルは属州から本国の国境にあたるルビコン川で、有名な「賽は投げられた」と言って、ポンペイウスを攻めるのです。
軍を率いたカエサルに対し、ポンペイウスと元老院はローマを放棄してギリシアへ逃亡、さらにエジプトへ逃げますが、プトレマイオス朝の王の配下がカエサルと有利な取引をしようともくろんで、ポンペイウスを殺害するのです。
ポンペイウスを追ってエジプトに上陸したカエサルが出会ったのはクレオパトラでした。クレオパトラはカエサルの心をつかんで、結びつき、クレオパトラと対立していたエジプト軍を制圧します。
体を絨毯に包んで、贈り物として宮殿に侵入して、カエサルと会った
参照元 https://julius-caesar1958.amebaownd.com/posts/6395771/
ローマへの帰還途中にポントス王を討って小アジアも平定、
ローマ帰還後はポンペイウス派の残党を一掃し、カエサルの独裁体制が成立するのです。
むかちん