むかちん歴史日記507 世界四大文明⑥ メソポタミア文明~アッシリアからメソポタミア文明の終焉
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)
今回も引き続き、メソポタミア文明についてお話させていただきたいと思います✨
参照元 https://sekainorekisi.com/glossary/%e3%83%92%e3%83%83%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%83%88/
◆ヒッタイトによる征服
紀元前1700年ごろ、鉄製の武器を持ったヒッタイトが小アジアで強力な国家を建設しました。
前回お話したとおり、紀元前1595年にこのヒッタイトがメソポタミアに侵入して、古バビロニア王国を滅ぼします。
紀元前13世紀になるとシリアをめぐってエジプトと対立し、ヒッタイト王ムワタリとエジプト王ラムセス2世率いる両軍はカデシュの戦いで衝突します。
結局両軍膠着状態に陥り、平和条約が結ばれ、碑文が刻まれました。
そんなヒッタイトも紀元前1190年ごろに謎の民族、海の民によって滅ぼされます。
海の民が自ら国家を建国することはありませんでした。
◆アッシリアの征服
一方で西アジアにはミタンニやカッシートといった民族の王国の成立していました。
そのなかで当初ミタンニ王国に服属していたアッシリアが独立し、鉄製の武器と戦車によって勢力を拡大、サルゴン2世のときにオリエントの大半をアッシリアが統一しました。
そしてアッシュールバニパル王のときにエジプトの征服、西アジア最初の世界帝国を形成します。
このアッシュールバニパルは首都をニネヴェに移して、世界最古の図書館を建設したことで知られ、粘土板の図書3万枚を集めたと言われています。
参照元 http://zbtn.hatenablog.com/entry/2016/03/25/%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6#%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8
◆新バビロニアの繁栄と滅亡
しかし、このアッシリアも苛烈な専制支配を行ったため、カルデア・メディア連合軍によって滅ぼされ、オリエントはエジプト、リディア、新バビロニア(カルデア)、メディアの4王国に分立しました。
この中でも新バビロニアが最も栄えました。
リディアは世界で最初の貨幣を鋳造した国として知られています。
参照元 http://eurekajwh.hp.infoseek.co.jp/kougi/kougi/nisiA/ori02.html
新バビロニアのネブカドネザル2世はバベルの塔やイシュタル門、空中庭園などを建設したほか、新バビロニアを裏切ってエジプトについたユダ王国を滅ぼし、バビロン捕囚と呼ばれるユダヤ人の大量移送を行いました。
しかし、メディアに代わってアケメネス朝が興ると、紀元前539年に新バビロニアはアケメネス朝に滅ぼされ、バビロン捕囚で連行されたユダヤ人は解放されました。
このアケメネス朝はメソポタミアの文明を継承する王朝でしたが、そのアケメネス朝も紀元前4世紀にギリシア人のアレクサンドロス大王の東方遠征によって滅ぼされるのです。
むかちん