むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記504 世界四大文明③ エジプト文明~中王国から新王国

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日はエジプト文明の中王国から新王国までをお話します(*^▽^*)

 

◆エジプト中王国

前回お話した古王国が第6王朝末期に王が権力を失ったために、エジプトは第一中間期という長い混乱期に突入しました。

 

その混乱期を収束したのが、第11王朝の王メンチュヘテプ2世で、紀元前2040年に再びエジプトを統一しました。

このときの首都はメンフィスではなく、テーベで、これ以降の時代を中王国と呼びます。

 

政治的・文化的にも繁栄したこの中王国時代ですが、

紀元前17世紀に初めて異民族の侵入を経験することになります。

それがセム系の西アジア遊牧民、ヒクソスです。

 

馬と戦車を用いて農耕民族であったエジプトを圧倒しました。

 

このヒクソスが支配した時代を第二中間期と呼称しますが

支配を受けると同時にエジプトは軍事力を手に入れることになるのです。

 

◆エジプト新王国

第二中間期にヒクソスが支配していた政権を第15王朝と呼びますが、テーベの政権である第17王朝のイアフメス1世が3代にわたる戦いを制して、ヒクソスを駆逐し、エジプトの再統一を果たしました。

 

この再統一以後の政権を第18王朝と呼称し、17と18は連続した王朝になります。

 

紀元前15世紀のトトメス3世を代表とする歴代の王たちは征服活動を積極的に行い、

西アジアに進出、ミタンニなどと戦い、ナイル川上流のクシュ王国も服属させ、エジプト王国最大の領土を形成していきます。

 

歴代の王たちは遠征の後に国家神であるアメンに戦勝を謝すために、アメン神殿を各地に作り、その神官たちの権限は絶大なものとなっていきます。

 

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参照元 http://www.obelisks.org/karnak_j.htm

アメン大神殿の入り口

 

こうした神官の権力の拡大をそぎ落としにかかったのが、アメンホテプ4世です。

 

blog.saitama-johnny.com

 

彼はアメン神信仰を排除し、アテン神を唯一神とするアテン信仰へと切り替えます。これがアマルナ革命と呼ばれる宗教改革です。さらに首都をアケトアテンへと遷都し、アマルナ美術よ呼ばれる芸術も誕生しますが、このアテン神が広く受け入れられることはありませんでした。

 

Nefertiti_(Nofretete_in_Berlin)

参照元 http://www.ikken.net/?p=212

※アメンホテプ4世王妃ネフェルティティの胸像

 

エジプトの美術品で現代までほぼ無傷のかたちで伝わっていることで有名なツタンカーメンもこのころの人物です。

彼自身の功績が有名というわけではありませんが、彼の墓の副葬品が現代までに伝わり、エジプト美術の最高傑作と言われます。

 

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参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3

 

そして新王国で史上最大の建築活動を行ったと言われるのがラムセス2世です。

ヌビアに建設されたアブ・シンベル宮殿などが有名です。

 

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参照元 http://www.intweb.co.jp/egypt/egypt07.htm

 

これだけ繁栄したエジプト新王国時代ですが、

第20王朝のラムセス3世以降、急速にその王権は衰えていき、逆に勢力を伸ばしたテーベのアメン神殿が事実上の国家を樹立して、再び統一の時代は失われていくのです。

 

むかちん