むかちん歴史日記353 旅行でみかける歴史的建造物にまつわる人のヒストリー世界編③ ルーブル美術館の前身、ルーブル要塞を作ったフランスの尊厳王~フィリップ2世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は旅行でみかける歴史的建造物にまつわる人のヒストリー世界編の第三弾!!
フランス最初の偉大な王として知られ、イギリスとの争いに勝利して領地拡大
フィリップ2世(1165-1223)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://bushoojapan.com/scandal/2017/11/11/106285
◆フィリップ2世は1165年に現在のフランスに誕生します。
彼は父ルイ7世にとっては唯一の男子でした。
当時のフランスはカロリング家の断絶後、選挙によってえらばれたカペー家が王家となっていましたが、所領などは他の諸侯と変わらず王権の強化が必要でした。
しかし、ノルマンディー公がイングランド国王も兼ねて非常に強い力を持つとそれに対抗するので手一杯といった状況で
さらに国王ルイ7世にはなかなか男子が生まれない中で、このままではイングランドのプランタジネット朝に併合されるという危機感の中、誕生したのがフィリップ2世でした。
彼は14歳で共同統治王として戴冠、1180年に父が亡くなると、15歳にして単独の国王になります。
最大の懸案は前王の頃から続く、イングランドのプランタジネット家との抗争でした。
フィリップ2世はイングランド王ヘンリ2世が息子たちと不仲であり、フィリップ2世自身は非常にヘンリ2世の息子たち、とくにのちにリチャードと仲が深まったので、
これを利用してヘンリ2世に対して謀反を起こさせることに成功、
また領土に関しては相互不可侵で、共に十字軍を編成して協力関係を作りました。
しかし現実主義者のフィリップ2世と王位についたリチャード1世は反目しあう結果になり、領地を奪い、また奪い返される展開になりますが、途中でリチャード1世が戦死するため、イングランド王に失地王ジョンが受け継ぎます。
このジョンという王はイングランドの長い歴史でも最大の暗君と言われる王でした。
ジョンは1200年に自身も婚約者がいる状態で婚約者が別にいる女性と強引に結婚をしたため、
自身の婚約者がフィリップ2世に訴える出来事が起こります。
ジョンはイングランド王とフランス諸侯を兼ねていたので、フランス王の呼び出しに応じなくてはいけないのですが、彼は無視を決め込みます。
そこでフィリップ2世はジョンの全フランス領土のはく奪を宣言、さらにジョンはフランス諸侯を殺害すると、他のフランス諸侯はほとんどすべてフィリップ2世側につく結果となり
懸案だったプランタジネット朝のフランスにおける領土をあっさり回収することに成功します。
最後はブービーヌの戦いでジョンに勝利を収め、フランスのカペー王家はゆるぎない王家としての地位を確立し、このフィリップ2世は「尊厳王」と呼ばれて、フランス王朝の中でも屈指の尊敬される王となるのです。
内政面では父のころから進んでいたノートルダム大聖堂の建設を進め、パリ大学創設に寄与します。
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%A0%E8%81%96%E5%A0%82
そして1190年、パリを城壁で囲むようフィリップ2世が指示し、
数棟の強固な城塞が建設されます。
そのうちのセーヌ川に作られた城塞が、ルーブル城塞で、これがのちにルーブル宮殿に改築され、現在のルーブル美術館へと至るのです。
参照元 https://4travel.jp/travelogue/10765616
※かつては要塞だったルーブル美術館。
フィリップ2世は1223年亡くなり、歴代フランス王が眠るサン=ドニ大聖堂に埋葬されました。
参照元 https://blogs.yahoo.co.jp/muguet0714/62191190.html
※歴代フランス王が眠るサン=ドニ大聖堂のステンドグラス。
むかちん