むかちん歴史日記303 グルメを食べながら聞きたい世界の王を語る③ スウェーデンも最盛期を築いた国王~グスタフ・アドルフ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はグルメを食べながら聞きたい世界の王を語るシリーズの第3弾!!
スウェーデン最盛期を築いた「北方の獅子」
グスタフ・アドルフ(1594-1632)
を紹介します(*^▽^*)
◆グスタフ・アドルフは1594年スウェーデン王カール9世と2度目の王妃クリスティーナの間に誕生します。
幼少期から高水準の教育を施され、ラテン語・ドイツ語・オランダ語・フランス語・イタリア語を自国語と同じように話し、そのほかにもスペイン語・英語・スコットランド語・ポーランド語・ロシア語を理解できたといわれています。
9歳で公務につき、15歳で病気の父に代わって堂々たる演説を議会で行いました。
まだ王太子の頃にロシア・ツァーリ国の内乱に介入してストルヴォヴァの和約でイングリア・カレリアなどを獲得します。
これはオランダ(当時はネーデルラント)が行った軍制改革をスウェーデンが取り入れ、グスタフアドルフが実践したといわれています。
1611年、父の死によって、王位に就き、バルト海の制海権をめぐって
苦戦を強いられますが領土は維持すると同時にバルト海からロシアを締め出すことに成功します。
その後、ポーランドとの戦いでは惨敗するものの九死に一生を得ます。
一方でポーランドはスウェーデンを撃退したとはいえ、スウェーデン本土へ侵攻する体力もなければ、経済的余力もなく、ポーランドに駐留すスウェーデン兵をすべて追い出す力はありませんでした。
そう考えるとスウェーデンは兵を再編すれば、ポーランド侵略もできたのでは、と思われがちですが、
幾度となく、敗れているスウェーデンは、ポーランドと戦う気力を失っていて
両国とも厭戦気分が蔓延していました。
そこで実力を発揮したのがグスタフ・アドルフでした。
彼は一国の君主であったため、フランスの調停もあって、先んじてスウェーデンに有利な休戦条約「アルトマルクの和議」を結ぶことに成功、
リーフランドの獲得やメーメル・ダンツィヒ平原の諸都市における徴税権を獲得し
バルト海制覇をほぼ実現します。
その後、スウェーデンはドイツで起こった新旧諸侯間の三十年戦争に介入します。
スウェーデンは新諸侯側を支援し、カトリック勢力を弱体化させる意図をもっていました(スウェーデンはいわゆる新教(プロテスタント)勢力でした)。
グスタフ・アドルフはこの戦争の最中、強度の近視ということもあって、霧の中で味方の軍から敵の軍に飛び出してしまい、戦死します。
享年38歳。
むかちん