むかちん歴史日記302 グルメを食べながら聞きたい世界の王を語る② 教皇に対し、圧倒的権力をふるった国王~フィリップ4世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はグルメを食べながら聞きたい世界の王を語るの第二弾!!
中央集権を確立し、教皇に対しても圧倒的権力をふるったフランス王
フィリップ4世(1268-1314)
を紹介します(*'▽')
◆フィリップ4世は1268年にフィリップ3世と最初の王妃イザベル・ダラゴンの子として誕生します。
1276年に兄が死去したため、幼少期より次期の王として育てられ、
1284年にはナバラ女王ジャンヌと結婚して、ナバラ王国とシャンパーニュ伯領を支配下に収めます。
1285年、アラゴン十字軍の遠征の帰りに病没した父に代わって即位します。
彼の治世の時代背景としては普遍的権威といわれていた
その折を見て、フィリップ4世は君主権の強化を図っていきました。
またイングランドとしばしば対立。
フィリップ4世は毛織物で栄えていたフランドル地方に強い関心があり
フランスの支配下に置こうと考えたが、従来よりイギリスとの結びつきの強いフランドルはこれに反発、イギリスと結んで戦いを繰り広げます。
彼の治世ではこの問題が解決に至ることはありませんでした。
またフィリップ4世は戦費調達のために教会課税を行うと
これは教皇にとっては痛手となるために、教皇ボニファティウス8世はフィリップ4世と激しく対立します。
フィリップ4世は国内世論を味方につけるためにフランスの国益を宣伝して支持を集め、これに憤慨したボニファティウス8世は彼を破門(キリスト教世界での破門は死を意味していました)しますが、フィリップ4世は「悪徳教皇」の弾劾の公会議を要求し、決裂します。
アナー二事件と呼ばれる教皇襲撃事件を起こして、教皇の捕縛を計りましたが、これは失敗。
しかし、ボニファティウス8世は異端者と面罵され、退位を迫られ、辱められて憤死したといわれています。
そしてフィリップ4世は自身の強い影響下にあるクレメンス5世を次の教皇に据えて、
これを「アヴィニョン捕囚」と呼び、約70年、フランスの強い影響下に置かれるのです。
そしてテンプル騎士団も解体。
そのときに呪いの言葉をかけられた、といわれ
同年、フィリップ4世は脳梗塞で亡くなります。46歳でした。
むかちん