むかちん歴史日記249 世界の最盛期の君主を巡る旅行シリーズ④ ドイツ帝国の植民地を拡大~ヴィルヘルム2世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は世界の最盛期の君主を巡る旅行シリーズの第四弾!!!
ドイツ帝国の植民地拡大に心血を注いだ
ヴィルヘルム2世(1859-1941)
を紹介します😄😄
◆ヴィルヘルム2世はのちの第二代ドイツ皇帝、フリードリヒ3世とイギリス女王ヴィクトリアの娘のヴィクトリアとの間に1859年に誕生します。
ヴィルヘルム2世が生まれた年は、プロイセンは大叔父のフリードリヒ・ヴィルヘルム4世が国王でしたが、彼は子がない上に重度の精神疾患を患っており、彼の弟、つまりヴィルヘルム2世の祖父にあたるヴィルヘルム1世が摂政として、プロイセンの統治にあたりました。
のち、1861年ヴィルヘルム1世は正式にプロイセン国王に就任し、宰相にビスマルクを任じて小ドイツ主義のドイツ統一事業を推進しました。
1869年、第一近衛部隊に入隊します。
1870年に普仏戦争が勃発すると、彼は従軍を希望しますが、年少であったため、認められませんでした。
1871年、ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝(カイザー)に就任し、ドイツ帝国が成立します。
母ヴィクトリアとヴィルヘルム2世の関係は悪化するようになり、
ヴィクトリアは息子をエゴイストであると評しますが、ヴィルヘルム2世は非常に保守的で、ドイツの軍国主義に強い影響を受けていたこと、そしてイギリス出身の母との衝突もあって、
自由主義や自由主義を体現するイギリスへの敵視を強めていきます。
1888年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が崩御し、父がフリードリヒ3世として即位すると、ヴィルヘルム2世は皇太子となりますが、父は在位99日で崩御してしまいます。
そこでヴィルヘルム2世がただちに29歳で皇帝に即位します。
当初は宰相ビスマルクとともに統治にあたりますが、社会問題、労働者問題に対するスタンスの食い違いにより、次第に衝突するようになります。
そして1890年、ビスマルクを退任へ追いやるのです。
ヴィルヘルム2世の政策として象徴的なのが「世界政策」で、当時ビスマルクがアフリカでいくつかの植民地を獲得していたものの、イギリスやフランスに比べると、ドイツの植民地は少ない状態でした。
ドイツの覇権に向けての動きは英仏露と激しく対立するものであり、
これが最終的には第一次大戦の火種となって、ドイツは挫折することになります。
ドイツは最終的には英仏露、さらにはイギリスと同盟を結んだ日本に包囲されることになり、ヴィルヘルム2世は非常に焦ります。
そして、1914年、第一次世界大戦へと突入していくのです。
ドイツの戦況は悪化し、国内は共和国化に向けて変わっていくと同時に、ヴィルヘルム2世への退任圧力は強まります。
当初、ヴィルヘルム2世は絶対に退位しないと強気であったが、革命運動が日に日に激しくなっていくと、怒りに震えていたものの、オランダへの亡命を決意します。
その後はオランダで余生を送り、1941年82歳で亡くなります。
むかちん