むかちん歴史日記248 世界の最盛期の君主を巡る旅行シリーズ③ スペイン黄金期の偉大な王~フェリペ2世
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今日はスペイン黄金期の偉大な王
フェリペ2世(1527-1598)
を紹介します(≧▽≦)
http://civ.uc-style.com/leader/3_modern/felipe.html
◆フェリペ2世は1527年、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)の皇帝にして、スペイン王でもあったカール5世とポルトガル王マヌエル1世の娘、イザベルとの間に誕生します。
父はスペインではカルロス1世として、統治し、スペインは当時、ヨーロッパでもっとも勢いをもち、ヨーロッパ以外にも広大な領地をもつほどに勢力を伸ばしていたため、
その繁栄は「太陽の沈まぬ国」と形容されていました。
その勢力は現在の地名にも残されおり、フィリピンは当時スペイン領でありましたが
フィリピンは「フェリペ」を語源とする言葉です。
1556年、父の退位により、フェリペ2世はオーストリアを除く領地を継承し、
オーストリアは叔父フェルディナントが引き継ぎ、このときにスペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家の分家されます。
フェリペ2世は当時、アラゴン王国(イベリア半島東部の国家)で採用されていた副王制を敷き、中央集権体制の強化に乗り出しました。
1561年、国土の中央に位置するという理由から、バリャドリッドからマドリードに宮廷を移し、ここで初めてスペインの首都がマドリードに確定します。
このフェリペ2世は前王のカール5世と違い、前王はヨーロッパ中を転々と巡回したのに対し、フェリペ2世は宮廷で黙々と政務にあたっていたことから、「書類王」と呼ばれていました。
一方で熱烈なカトリック教徒であり、異教徒には非常に不寛容であったといわれています。
事実、キリスト教の新興勢力であったプロテスタントがフランスで反乱を起こしたユグノー戦争にも介入、またカトリックの盟主を自任し、イスラムのオスマン帝国と1571年レパントの海戦に勝利します。
さらに1580年にはポルトガルを併合、スペイン最大の領地を形成します。
インディアス(新大陸)、フィリピン、ネーデルラント、ミラノ公国、フランシュ=コンテ(以上カスティーリャ王国領)、サルデーニャ島、シチリア島、ナポリ王国(以上アラゴン連合王国領)、ブラジル、アフリカ大陸の南西部、インドの西海岸、マラッカ、ボルネオ島(以上ポルトガル王国領)という広大な領土を手に入れ、
「太陽の沈まぬ帝国」とまで言われました。
このころに日本から「天正少年使節団」がフェリペ2世を謁見し、これを歓待しています。
しかし、こうした太陽の沈まぬ帝国も1588年、最強を誇ったスペイン無敵艦隊がアルマダの海戦でイギリス海軍に敗れたところから陰りを見せ始め、
1598年にフェリペ2世が亡くなると、その衰退はほぼ決定的な状態になっていきます。
むかちん