むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記231 絶大な力を振るったトップリーダーを巡る旅行シリーズ① マケドニアの大王〜アレクサンドロス3世

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(〃^∇^)o_彡☆

 

絶大な力を振るったトップリーダーを巡る旅行シリーズの第一弾!

マケドニアの大王にして東方遠征で次々に領地を拡大した

 

アレクサンドロス3世(前356-前323)

 

を紹介します(*´∀`*)

 

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参照元 

https://sekaishilibrary.com/alexanderthegreatcontents/

 

アレクサンドロス3世は、ギリシア神話の英雄、ヘラクレスを祖とする父親、フィリッポス2世とイピロスの女王の母親、オリュンピアスの間に紀元前356年に誕生します♬

 

紀元前342年、フィリッポスはアテナイからアリストテレスを家庭教師として招きます。

アレクサンドロスは彼を「ピリッポス2世から生を受けたが、高貴に生きることはアリストテレスから学んだ」という言葉を残すほどに最高の師として尊敬し、このときの学友がのちにアレクサンドロス大王を支えていくことになります。

 

紀元前338年、アレクサンドロス3世は父に従い、アテナイ・テーバイ連合軍とカイロネイアの戦いに初陣として出陣します。

この戦いでマケドニアの勝利に大きく貢献し、父フィリッポス2世ギリシアの覇権を握ります。

 

ここからペルシアへの東征を計画していましたが、フィリッポス2世は暗殺されてしまいます。

そして20歳のアレクサンドロス3世がその遺志を継ぎ、父の死後、混沌としていたギリシアの諸ポリス(小国家)を再び制圧します。

 

そしてマケドニア軍38,000を従えて、ペルシア制圧へ向けて東へ向かいます。

これが有名なアレクサンドロス3世による「東征」です。

 

紀元前334年、グラコニス川の戦いでペルシア軍に勝利、

紀元前333年、ついにイッソスでアケメネス朝ペルシアの王、ダレイオス3世の軍10万に遭遇、

イッソスの戦いが起こり、アレクサンドロス3世が勝利、彼の妻や子を捕虜にします。

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B93%E4%B8%96

 

ペルシアから和睦の申し入れがありますが、アレクサンドロス3世はこれを拒否し、さらに進軍、シリア、エジプトを制圧します。

 

そこから再び東征を再開、アレクサンドロス3世の軍47,000は、紀元前331年、ガウガメラの戦いで、20万以上といわれたダレイオス3世率いるペルシア軍を破り、

これによってアケメネス朝ペルシアは滅亡を迎えます。

 

その後、ソグディアナとバクトリアを平定、

インド遠征をおこない、インド北東部パンジャーブ地方に侵入、諸民族を制圧しますが

兵の疲弊により、インド中央部にたどり着くことなく、やむなく退散し、

マケドニアの王都、バビロンに帰還します。

 

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参照元 

http://www.uraken.net/rekishi/reki-eu07.html

 

アレクサンドロス3世は帝国を、ギリシアマケドニア、ペルシアの3地域に再編し、

ペルシア人マケドニア人の融和を進めます。

 

しかし、アレクサンドロスはアラビアの遠征を計画している途中で蜂に刺され、

10日間高熱をだした挙句に32歳の若さで亡くなります。

その後、息子で兄の間で、帝国の覇権争いが起こり、アレクサンドロスの帝国は崩壊へ向かっていくのです。

 

◆名言

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私は一頭の羊に率いられたライオンの群れを恐れない。
しかし一頭のライオンに率いられた羊の群れを恐れる。

 

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人生はチャンスと変化に富んでいる。
そして最も栄えているときに、人は大きな不幸に見舞われる。
不幸は、本当の友人でない者を明らかにする

 

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むかちん