むかちん歴史日記515 古代ヨーロッパ世界⑤ 古代ギリシア~ペロポネソス戦争
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日も古代ギリシアの続編といきましょう!!!
◆ペロポネソス戦争に至るまで
その中で中心的役割を果たしたのがアテネです。
海軍力を強化したアテネは、ペルシア軍の再来に備えて、エーゲ海の諸ポリスとデロス同盟を結成します。
この時のアテネは紀元前443年に将軍職となったペリクレスの下で全盛期を迎えていました。
ペリクレスはこのデロス同盟において集めたお金で建設したのが、パルテノン神殿です。
参照元 https://tripnote.jp/greece/2-things-to-be-careful-when-visiting-athens-parthenon
ギリシアは各ポリスの内政にも干渉し、ギリシアの支配者のごとくふるまいました。
このギリシアの勢力の伸長にもっとも警戒感を抱いていたのがスパルタでした。
スパルタはペロポネソス同盟を作って、アテネのデロス同盟に対抗します。
そしてこの対立は深まっていき、ついに紀元前431年、ペロポネソス戦争に突入します。
参照元 https://sekainorekisi.com/glossary/%E3%83%87%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%90%8C%E7%9B%9F/
◆スパルタとは
アテネと覇権を争ったスパルタについて少し解説をします。
アテネは別記事でも書いたとおり、民主政を発展させた都市国家であったのに対し、スパルタは貴族政をとり、少数の貴族が半自由民(ペリオイコイ)と奴隷(ヘイロータイ)を支配しているという体制でした。スパルタはアテネに比べてもかなり強い軍国主義だったといえます。
紀元前431年にスパルタ率いるペロポネソス同盟軍がアテネの本拠アッティカ地方に侵入したことから戦争が勃発。アテネは守勢に立たされたましたが、当初はペリクレスを中心に優位な戦いを進めていたようです。
しかし、ここで想定外の疫病がアテネに蔓延します。
この疫病でアテネの人口の3分の1は失われ、ペリクレスも亡くなってしまいます。
ペリクレス以後はデマゴーゴスという煽動政治家が現れ、アテネは混乱に陥ります。
アテネとスパルタの戦いは紀元前404年に講和、ペロポネソス同盟の勝利に終わります。ペロポネソス同盟はイオニア諸国へのペルシアの保護権を認める代わりに資金援助を受け、ペルシアと同盟関係を結びました。昨日の敵は今日の友、、、といったところでしょうか、、。
これによってペルシアのギリシアへの干渉が再び強まるのですが・・。
こうしてアテネは全面降伏して、覇権はスパルタへと移るのです。
むかちん