むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記514 古代ヨーロッパ世界④ 古代ギリシア~ペルシア戦争

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日も引き続き、古代ギリシア編です!!(*^▽^*)

 

 

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ペルシア戦争前夜~イオニア植民市の反乱

紀元前500年にアケメネス朝ペルシアが支配していたイオニア人植民市が反乱を起こします。当時、アケメネス朝ペルシアはダレイオス1世の治世の下、周辺地域を次々と征服し、その勢力圏を拡大していました。

 

その中で小アジアイオニア人植民市はペルシアから重税をかけられ、苦しんでいました。このイオニア植民市の街がミレトスです。

 

参照元 http://www.vivonet.co.jp/rekisi/a02_greece/greece2.html

 

このミレトスを中心としたイオニア人たちがアケメネス朝に対して反乱を起こしました。

結局、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世はこれを鎮圧しますが、ここに援軍を送っていたのがアテネでした。

 

この報復として、アケメネス朝が攻め込んだことによって、ペルシア戦争が始まります。

 

◆3回にわたるペルシア戦争の勃発

・第一回ペルシア戦争(BC492年)

ペルシアがギリシアに攻め入り、北側のトラキアを制圧し、さらに海を越えてギリシア本土へ攻め込もうとしたところで暴風雨に遭い、これに失敗します。

 

・第二回ペルシア戦争(BC490年)

再度攻撃を仕掛けてきたペルシアは、エーゲ海の島々を攻略して、アテネの近くの街、マラトンに上陸します。

アテネはスパルタに援軍を頼むものの神事ということで断られたため、プラタイアイという都市国家とともにペルシアと戦います。

 

これがいわゆるマラトンの戦いでアテネ・プラタイアイ連合軍が勝利します。

マラトンの勝利を伝えようと伝令が長距離を一人で走り切り、アテネにたどり着いてそこで息絶えたことから、「マラソン」の語源となりました。

 

・第三回ペルシア戦争(BC480-BC479)

ダレイオス1世に代わり、クセルクセス1世率いるペルシア軍がテルモピレーでスパルタ軍と激突、10万のペルシア軍に対して、300のスパルタ軍が突入していくという戦いで数の点で優位であったペルシア軍がこの戦争において初勝利を収めます。

 

このスパルタの敗戦により危機に陥ったアテネをはじめとするギリシアの諸都市。

ここで、英雄と呼ばれるアテネテミストクレスという将軍が現れ、三段櫂船という特別な船を作ります。

 

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参照元 http://shop.ayard.jp/shopdetail/046002000325/

 

当時の船のメインは風に帆を張って進むもの。

しかし戦争で風任せでは勝利は非効率なので、漕ぎ手を船につけたのがこの三段櫂船です。

この漕ぎ手は無産市民であり、貧民でしたが、この漕ぎ手としての活躍によって、無産市民の発言力が強まり、結果としてアテネの民主政が徹底されることになります。

 

ギリシアはペルシア海軍をサラミス湾におびき寄せ、大規模な海戦に臨みます。

これがサラミスの海戦です。

 

これにギリシアは大勝利を収め、続く陸上のプラタイアの戦い、海上のミカレ岬の戦いにも勝利して、ペルシアは後退することになり、イオニア地方の独立が承認され、ギリシアとペルシアはカリアスの和約を結んで戦争を終結するのです。

 

ちなみにペルシア戦争テルモピレーの戦いに300人のスパルタ軍が突入していく姿を描いた映画が『300 スリーハンドレット』です。

 

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参照元 https://www.amazon.co.jp/300%E3%80%88%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%80%89-DVD-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/B003OTDYPW

 

むかちん