むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記196 グルメで歴史に名を刻んだ偉人シリーズ① フランス料理の礎を築いた~アントナン・カレーム

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)

 

今日は、フランス料理の礎を築いた

 

アントナン・カレーム(1784-1833)

 

を紹介します!(≧▽≦)

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0

 

◆カレームは10歳のときにフランス革命の荒波で揺れていたパリで、貧しい両親に放り出されるという過酷な体験をしています。

生きていきために安食堂の見習いとして働き、やがて頭角を現してきた彼を

 

フランスの外交官タレーラン邸に出入りしていた有名パティシエが見出し、出世への階段を上り始めます。

 

1814年、フランスの他、オーストリア、ロシア、プロイセン、イギリス、ローマ教皇領が参加して、ナポレオン戦争以後のヨーロッパ秩序を話し合う、ウィーン会議の場で、

このカレームの料理がふるまわれ、彼の名は一躍有名になります。

 

カレームがフランス料理に与えた影響は幅広く、

コック帽の考案、ベースとなるソースによって全てのソースを4つの基本ソース(ソース・アルマンド、ソース・ベシャメル、ソース・エスパニョール、ソース・ヴルーテ)に基づき分類、また帝政ロシアの食文化にも影響を与えたそうです。

 

またカレームやカレームの弟子によってフランス料理は改革され、

フランス料理にロシア方式と呼ばれる、いっぺんに並べるのではなく、

一品ずつ食卓に運ばれる方式を取り入れます。

 

これがなぜロシア方式と呼ばれるかというと

ロシアのような寒冷な地域では料理をいっぺんに出してしまうと

すぐに冷めてしまうため、料理を温かい状態で味わいにくいということから

一品一品、温かいものは温かい状態で食べれるような工夫として生まれました。

 

タレーランやナポレオンは食卓外交の重要性を理解しており、

そうしたことへの支援は惜しまなかったといわれています。

 

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参照元 

http://www.chezange.net/menu2.shtml

 

いつの世もグルメは人を魅了するということですね(≧▽≦)

 

カレームはウィーン会議が終わると、イギリスの摂政皇太子の料理長としてロンドンで働きます。

その後、ロシアのアレクサンドル1世、オーストリアのフランツ1世につかえた後、

パリに戻ってジェームズ・ロスチャイルド家につかえます。

 

そして1833年、48歳でこの世を去ります。

 

◆名言

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ここで説明するレシピは簡にして明である。
すなわち、人生は思いどおりにはいかないということだ。

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むかちん