むかちん歴史日記192 世界中を熱くする音楽を生み出した偉人シリーズ② 管弦楽の魔術師~ラヴェル
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は世界中を熱くする音楽を生み出した偉人シリーズの第二弾!!!
管弦楽の魔術師といわれた
ラヴェル(1875-1937)
を紹介します(*'▽')
◆1875年にラヴェルはフランスの南西部で誕生します。
音楽好きの父の影響で、6歳のころからピアノを習い始め、
12歳で作曲の基礎を学び、両親も彼が音楽を学ぶことを激励して、
パリ音楽院へ送り出しました。
1900年から5回にわたり、国民音楽協会の有名な「ローマ大賞」を勝ち取ろうと試みて、動いたものの
大賞は獲得できませんでした。
5回目の挑戦に至っては予選で落ちるという事態になり、このころすでに『亡き王女のためのパヴァーヌ』『水の戯れ』などの作品で名をはせていたので、この評価は各所で波紋をよび、ロマン・ロランが抗議を表明するなどの事態に陥りました。
『ダフニスとクロエ』作曲中の1909年にはラヴェルは国民音楽協会と決別し、
シャルル・ケックランらと現代的な音楽を新しい音楽の創造を目指す団体、独立音楽協会を旗揚げします。
1917年に最愛の母が他界すると、ラヴェルは極度に落ち込み、3年間実質的な新曲を生み出すことができませんでした。
1928年、ラヴェルは初めてアメリカへわたり、4か月にわたる演奏旅行を行いました。
この演奏旅行の成功により、ラヴェルは世界的に有名になりました。
ラヴェルは1927年ごろから、徐々に言語障害など悩まされ始め、1932年に交通事故に遭うとその症状は悪化、字を書くのにも時間を要する状態になりましたが、音楽活動は続けます。
1933年、パリで最後のコンサートを行い、代表作『ボレロ』などを演奏しますが
このころには病状がかなり悪化していました。
1937年、ラヴェルは息を引き取ります。62歳でした。
ラヴェルは生涯独身であったことでも知られています。
◆名言
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あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、
二流のラヴェルになる必要などない
(これは、オーケストレーションの教えを乞うたジョージ・ガーシュウィンに対して、
ラヴェルが言ったとされます。)
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むかちん