むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記452 映画化された偉人たち② イタリアの天才バイオリニスト~ニコロ・パガニーニ

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は映画化された偉人たちシリーズの第二弾!!!

 

イタリアの作曲家にして天才バイオリニスト

 

ニコロ・パガニーニ(1782-1840)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

Niccolo Paganini01.jpg

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8B

 

参照元 https://mnky.jp/104263

 

◆ニコロ・パガニーニは1782年、イタリアのジェノヴァで生まれ、アマチュアの音楽家であった父から、マンドリンとヴァイオリンの音楽教育を受けます。

 

パガニーニの才能を見出した父は、バイオリニスト、作曲家、指揮者にそれぞれ師事させ、12歳になるころには教会に楽曲を提供するまでになっていました。

この少年の傑出したテクニックに回りは圧倒されたといいます。

 

1790年代後半、フランスのナポレオンがイタリアに侵攻し、ジェノヴァを占領した一方で英国艦隊が海上封鎖をしたため、パガニーニ一家は故郷ジェノヴァを離れることを余儀なくされます。

 

1801年、パガニーニルッカという街に移り、ここで10年以上を過ごすことになります。

このルッカの街のコンサートで彼の並外れた才能と常識外れの言動が公に出るようになります。

 

1810年、彼はオーケストラからの独立を決意して、イタリアで演奏旅行に出かけます。

 

パガニーニの楽曲は大きな影響を与え、彼が作曲したヴァイオリン協奏曲『ヴァイオリン協奏曲 第2番ロ短調』にピアニストのリストは、この曲のピアノ用の曲を作曲します。

しかし、意欲的に作曲を行っていたものの、彼はほとんど弟子を取らず、盗用を恐れて楽譜を残そうとしなかったので、オリジナルの楽譜はほとんど失われています。

 

その後もドイツやフランス、イギリスへ演奏旅行を行い、成功を収めます。

 

晩年のパガニーニは、1837年はじめにジェノヴァに戻りますが、病にむしばまれていたため、演奏家としては活動できなかったものの、作曲の意欲は衰えていませんでした。

 

パガニーニ1840年、死の床につきますが、梅毒や結核などのうわさもあり、埋葬が拒否され、幾度かの改葬を繰り返された結果、1876年、ようやくパルマの共同墓地に安置されることになります。

 

むかちん