むかちん歴史日記233 絶大な力を振るったトップリーダーを巡る旅行シリーズ③ 絶頂の教皇権で政治でも影響力を見せた教皇~インノケンティウス3世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は絶大な力を振るったトップリーダーを巡る旅行シリーズの第3弾!!
教皇として絶大な力をふるった
インノケンティウス3世(1161-1216)
を紹介します(*^▽^*)
◆インノケンティウス3世はイタリア中部のカヴィニャーノという町に生まれ、
コンティ家と呼ばれる彼の他に9人の教皇を輩出している、裕福な家で生まれました。
パリ大学で神学、ボローニャ大学で法学を学び、1190年、若くして枢機卿となり、1198年には教皇に選出されます。
1198年、インノケンティウス3世はローマ帝国領であったスポレート公国、アンコーナ、トスカーナ辺境伯への占有回復権を行使、
さらにはシチリア王フリードリヒ(後の皇帝フリードリヒ2世)の後見となります。
これらの土地はのちのローマ王オットー4世により教皇領となります。
彼は諸外国の王位継承にその権力をふるって介入していきました。
1208年ドイツのホーウェンシュタイン家の神聖ローマ帝国皇帝フィリップの勢力拡大を恐れて、
ヴィッテルスバハ家のバイエルン宮中伯オットー8世と計って、フィリップを暗殺します。
またローマ帝国の帝位継承争いにも介入し、ヴェルフ家のオットー4世の帝位継承を承認しますが、
オットー4世がイタリア南部に侵攻し、勢力拡大を図ると、1210年に彼を破門し、
フィリップ2世を皇帝に就けて、オットー4世を廃位させてしまいます。
このころのキリスト教社会では、キリスト教徒あらずんば人にあらず、という環境で
破門というのが一番恐ろしい行為でした。
イングランドでは国王ジョンとカンタベリー大司教の選任をめぐって対立し、ジョンを破門、ジョンは教皇に許しを得るため屈服します。
フランスでもフィリップ2世の離婚問題によりフランスを聖務停止にしてしまうなど
王権以上に教皇権を強いということを内外に示します。
そしてこの教皇権の強さを内外に示した言葉が第四ラテラン公会議で発せられた
「教皇は太陽、皇帝は月」というフレーズです。
彼は皇帝以上の権勢を教皇として振るっていきました✨
しかしイスラム世界を制圧するための十字軍が後半期には反乱するなど
少しずつ陰りを見せ始めた部分もありましたが
彼は1216年、没します。
むかちん