むかちん歴史日記216 音楽・美術など芸術で才能を発揮した偉人シリーズ① ルネサンス・イタリアを代表する画家~ラファエロ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、音楽・美術など芸術で才能を発揮した偉人シリーズの第一弾!!!
ルネサンス期のイタリアを代表する画家
ラファエロ(1483-1520)
を紹介します(#^^#)
◆ラファエロは、1483年にイタリアの小国の都市国家、ウルビーノ公国に宮廷画家の息子として誕生します。
当時のウルビーノ公国は文学に非常に重きを置いていたが、ラファエロの父は画家でありながら一種の詩の才能もあったようで、劇などの脚本も書いていました。
ラファエロはこうした文化的な環境で育ち、社会的マナーや芸術的センスなどを磨いていきました。
ラファエロは幼少期から絵の才能を示し始め、父親の仕事の大きな役に立っていました。
ラファエロは伝記によると8歳でウンブリア派の画家、ペルジーノの工房に弟子入りして学んだようで、
ラファエロが徒弟期間を終えて「マスター」となるのは1501年のことでした。
ラファエロほど師の影響を受けて大成させた画家はいないといわれるほどの才能を持っており、
一方でペルジーノの影響を強く受けながらも独自の作風を築き上げていきます。
ラファエロは北イタリアを中心に放浪の人生を過ごし、
フィレンツェには1504年から長期にわたって滞在しています。
(住んでいたわけではないようです。)
この時期にラファエロが最も影響を受けたのが
レオナルド・ダ・ヴィンチでした。
ラファエロはダ・ヴィンチの作品を真似た作品や彼の作品を模写したものを残しています。
またダ・ヴィンチの絵画技法で有名な「スフマート」と呼ばれる技法もラファエロは取り入れていますが、それでもラファエロらしい柔らかさは残し、
うまく調和していました。
そこから数年でラファエロの作風はさらに独自のものへと変化していきます。
1508年、ローマ教皇ユリウス2世の招きによって、ラファエロはローマに居を移します。
ヴァチカンのローマ教皇の専用図書館のフレスコ壁画の作成依頼を受けました。
ヴァチカン宮殿のうちのいわゆる「ラファエロの間」と呼ばれる部屋の絵画で『アテナイの学堂』は彼の最高傑作と謳われる作品です。
1513年にユリウス2世は死去しますが、そのあとのレオ10世ともさらに良好な関係をラファエロは築いていきます。
彼は同時代に天井画を描き上げたミケランジェロからも大きな影響を受けました。
それは彼の壁画にも如実に表れています。
ラファエロは最晩年をこのローマで過ごし、
そして37歳という短い生涯を終えます。
彼は37歳でなくなったとは思えないほど多数の作品を世に送り出しました。
むかちん