むかちん歴史日記217 音楽・美術など芸術で才能を発揮した偉人たち② バロック音楽の大家~バッハ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は音楽・美術など芸術で才能を発揮した偉人たちシリーズの第2弾
バロック音楽といえば、この方!!!!
バッハ(1685-1750)
を紹介します(*^▽^*)
◆1685年、ヨハン・セバスティアン・バッハはルター派(プロテスタントの一派)の音楽家のバッハ家の8人兄弟の末っ子として誕生します。
1703年、ヴァイマルの宮廷楽団に就職し、バッハはヴァイオリンを担当したが、オルガンを代打演奏することもありました。
アルンシュタットの新教会に新しいオルガンが設置されると同時に、
そのまま同教会のオルガニストにも採用され、聖歌隊の指導にもあたりました。
バッハは1707年に結婚し、7人の子を授かりますが、その生活費の工面などで
常にいい条件の仕事を探し求めていました。
1708年にはザクセン=ヴァイマル公国の宮廷オルガニストなり、その後
1717年、アンハルト=ケーテン侯国宮廷楽長として招聘され、ヴァイマルを離れようとしますが、ザクセン=ヴァイマル公はこれを承諾せず、バッハは1か月投獄されることになります。
同年、ケーテンに移り、音楽に理解のある主君の下、様々な世俗音楽を世に送り出します。
バッハが世俗音楽の作曲に集中できたのは、ケーテン公がプロテスタントの一派でカルヴァン派を信仰していたことが大きく、カルヴァン派では大規模な教会音楽は必要ではなかったのです。
1723年、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル「トーマスカントル」に就任します。同時にライプツィヒ市の音楽監督にも就任し多くの教会音楽を生み出します。
バッハは晩年は目を患い高名な医師の手術を受けるが悪化、
1750年、65歳で逝去します。
バッハは生前はオルガン奏者、専門家であったが、知名度は低く、
どちらかというと息子たちのほうが国際的に活躍していたので、
そちらのほうが有名であった。
しかし、彼の鍵盤楽曲を中心に息子たちやモーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リストなどといった音楽家たちによって細々と、
しかし確実に受け継がれ、1829年のメンデルスゾーンによるマタイ受難曲のベルリン公演をきっかけに一般にも高く再評価されるようになりました。
◆名言
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音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。
そこにおいては、魂が魂に話し掛けている。
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風は見えなくても風車は回っている。
音楽は見えなくても心に響いてくる、囁きかける。
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むかちん