むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記322 東西をまたにかける歴史的旅行をした偉人② ヨーロッパにアジアを知らしめた~マルコ・ポーロ

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、東西をまたにかける歴史的旅行をした偉人シリーズ第二弾!!

 

ヨーロッパにアジアを知らしめた

 

マルコ・ポーロ(1254-1324)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AD

 

マルコ・ポーロの正確な生誕地ははっきりしていませんが、1254年に、一般的にはヴェネツィア共和国で生まれた、と認識されています。

 

マルコの家庭は代々続く商人の家系で、父親は中東貿易で財と地位を形成しつつあったそうです。

彼には2人の兄がいて、マルコが生まれる前に、貿易の旅に出かけて、コンスタンティノープルに住み着いていましたが、政変が起こることを予測して、アジアへ移動していました。

 

その後1269年にヴェネツィアへ戻って、初めてマルコと出会い、1271年に3人でアジアの旅へと出発します。

一行が富と宝を得て戻ってくるのは24年後の1295年で、全行程15000キロの旅でした。

 

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参照元 

http://taleofpirates.info/voyage3.html

 

帰還して3か月後、ヴェネツィアは敵対していたジェノヴァと交戦状態に入り、マルコは志願して従軍しますが、ジェノヴァに捕らえられてしまいます。

 

数か月の収監中、共に投獄されていた著述家のルスティケロ・ダ・ピサがマルコの口頭での旅の詳細を書き留めて、できたものがかの有名な『東方見聞録』です。

 

中国・インド・日本などの極東の内情を包括的な語ったとものとして、

ヨーロッパに東アジアを知らしめるものとなりました。

 

ただ、この『東方見聞録』はピサの著述の段階でピサの経験や中国からもたらされた伝聞を書き加えてたりしており、

また、原文は早い段階に失われてしまったと考えられていて、140種類以上も写本がありますが、版によって大きく内容が異なるなどのズレが生じてしまっていました。

 

この『東方見聞録』に日本も「黄金の国、ジパング」と紹介されていて、元寇などに関する記載もあるようですが、一部史実と違う記載などもあるようです。

 

このマルコ・ポーロの報告が西欧諸国のアジアへの見方を変え、

これが大航海時代へとつながったと考えられています。

 

マルコは1299年に釈放され、すぐに豪商の仲間入りを果たします。

そして1323年、亡くなります。

 

むかちん