むかちん歴史日記321 東西をまたにかける歴史的旅行をした偉人① 唐からインドへ壮大な旅に出た~玄奘三蔵
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、東西をまたにかける歴史的旅行をした偉人シリーズの第一弾!!!
唐からインドへ壮大な旅に出てのちに伝奇小説の題材ともなった
玄奘三蔵(602-664)
を紹介します(*^▽^*)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E5%A5%98%E4%B8%89%E8%94%B5
◆玄奘三蔵は602年、洛陽にほど近い場所で誕生しました。
8歳のときに、『孝経』を父から教わっていた玄奘は、「曾子避席」というくだりを聞いて、「曾子ですら席を避けたのあれば、私も座ってはいられません(※曾子は、儒教黎明期の重要人物とされた紀元前の人物です)」と言って、
襟を正して起立した状態で教えを受けた、という逸話から、神童として見られるようになります。
玄奘は10歳で父を亡くし、次兄の長捷が出家して洛陽の浄土寺に住むようになったのを契機に、玄奘自身も浄土寺で学ぶようになります。
ほどなくして度僧の募集(当時は僧の数が国家で統制されていて、その枠に入る必要があった)があり、玄奘もこれに参加しようとしましたが、
年齢が若すぎたために、試験を受けることができなかったため、門で待ち構えていました。
これを知った隋の大理卿である鄭善果が玄奘になぜ出家したいのかを問うたところ、
「遠くは如来を紹し、近くは遺法を光らせたいから」と答えたことに感銘を受けた鄭は
玄奘の出家を特別に許します。
618年、隋が衰え、洛陽の情勢が不安定になると、玄奘は兄とともに長安に移り住みますが、長安も戦の様相となっており、かつて煬帝が集めた名僧たちは主に益州へ移ったことが判明します。
そこで、玄奘も兄とともに益州へ向かいますが、兄は途中の成都に留まることとなり
そこからは一人、旅に出ます。
玄奘は仏典の研究には原点に依拠するのがよいと考え、仏跡の巡礼を志します。
こうして、中央アジアを経由してインドへ至るのです。
インドのなーらんだー大学で戒賢に師事して唯識を学び、また各地の仏跡を訪れます。
そして学問を修めたあと、645年に657部の経典を長安へ持ち帰ります。
時の唐の皇帝、太宗は玄奘を非常に高く評価しました。
そして太宗は玄奘に対して、西域で見てきたことを詳細に記述するよう命じ
こうした記録がのちの伝奇小説『西遊記』のモデルとなったと言われます。
そして玄奘は余生を持ち帰った経典の翻訳に捧げました。
664年、玄奘は亡くなります。
むかちん