むかちん歴史日記323 東西をまたにかける歴史的旅行をした偉人③ 中国にイエズス会を広げた宣教師~マテオ・リッチ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は東西をまたにかける歴史的旅行をした偉人シリーズの第3弾!!
マテオ・リッチ(1552-1610)
を紹介します。
◆マテオ・リッチは1552年にイタリアに生まれ、
イエズス会に入会したのち、インドへの布教活動を志して1578年、インド・ゴアに派遣されます。
1582年、中国(当時は明)マカオへ赴き、すでに中国に入っていたイエズス会宣教師、ミケーレ・ルッジェーリとともに中国語と中国語文化の研究を行います。
リッチは中国南部の都市を転々としながら、適応政策と呼ばれる、アジア人を野蛮人という見方で見るのではなく、その地の文化や慣習を受け入れて、溶け込んでいくという姿勢で臨み、儒者の服を着て、中国式の生活を送ります。
彼の研究や学問的知識の評判が広がり、入門者が徐々に増えてきて、1598年にはついに北京入りを果たしますが、
1601年、北京に再び入り、万暦帝の宮廷に入ることに成功します。
リッチは中国に適応して中国名、利瑪竇(りまとう)と名乗り、
ラテン語の「デウス」の中国語訳として「天主」という言葉を用いました。
彼はキリスト教を中国に順応させていこうと考えたのです。
さらにリッチは東西の架け橋としての存在感を発揮し、
中国でキリスト教の教えを説いた『天主実義』、世界地図である『坤輿万国全図』、
ユーグリッド幾何学の漢文訳である『幾何学原本』などを刊行します。
リッチは一方で中国文化をヨーロッパへ好意的に伝え、
当時、口頭試問が中心だったヨーロッパの試験が、リッチの伝えた中国の科挙によって筆記試験に変わっていったとみる向きもあります。
『坤輿万国全図』は日本にも伝わっていて、
少なからず、リッチが中国に伝えたものは日本にも影響を与えていることをうかがい知ることができます。
『農政全書』を著した政治家であり、文化人でもあった徐光啓などは
中国文化に精通し、かつ人格者でもあったリッチの影響を受けて、キリスト教に入信しています。
彼の業績はのちの宣教師にも引き継がれ、
リッチは、アメリカの雑誌『ライフ』は第二千年紀(1000年 - 1999年)の最も偉大な百人の一人として選出されています。
リッチは1610年に北京で死去し、万暦帝によって葬られました。
むかちん