むかちん歴史日記324 東西をまたにかける歴史的旅行をした偉人④ 鎖国時代にロシアへ渡航した日本人~大黒屋光太夫
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、鎖国していた時代の日本において
ロシアへ(偶然ながら)わたり、皇帝と謁見した
大黒屋光太夫(1751-1828)
を紹介します(*^▽^*)
http://www006.upp.so-net.ne.jp/asao/koudayu.htm
父は舟宿を営んでいましたが、幼いころに死去し、
家督は姉婿を向かい入れて継ぐことになります。
兄は江戸で奉公を行い、光太夫も母方の親戚の江戸出店への奉公をします。
1778年、母方の親戚の分家の当主が亡くなると
その家の養子として迎え入れられ廻船問屋の船頭となります。
光太夫は船員らとともに、紀州藩の囲米を買い、江戸へ向かいますが、駿河沖付近で暴風雨に遭い、漂流します。
7か月漂流したのち、一行は日付変更線を超えて、アリューシャン列島の1つであるアムチトカ島へ漂着します。
そこで先住民のアレウト人や毛皮収穫のために来ていたロシア人と遭遇します。
彼らと生活をともにするなかで光太夫らはロシア語を習得していきます。
4年後にあり合わせの材料で作った船でここを脱出。
カムチャッカ、オホーツク、ヤクーツクを越えて、1789年にイルクーツクに到達します。
イルクーツクでは日本に興味を抱いていた博物学者、ハリル・ラクスマンと出会い、
キリルに随行していくかたちでサンクトペテルブルクを目指します。
そしてキリルの尽力によりロシア皇帝、エカチェリーナ2世との謁見に成功、
光太夫は帰国を許されます。
このときにロシアは日本との通商を目的として、
光太夫を届けようとしていたため、光太夫は日本の商業の事情などをロシアからとても聴取されたそうです。
アダム・ラクスマンに伴われ、漂流から10年を経て、根室へ上陸します。
帰国後は11代将軍、徳川家斉の前で聴取を受け、その記録が残され、多くの写本も出回りました。
海外情勢を知る光太夫の見識は日本における蘭学の発展にも寄与します。
その後、光太夫は江戸・小石川で余生を過ごし、1828年に亡くなります。
むかちん