むかちん歴史日記314 意味不明を解明してきた学術的偉人達④ 化学の周期表をまとめた科学者~ドミトリ・メンデレーエフ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は意味不明を解明してきた学術的偉人達シリーズ第4弾!!!
みんな知ってる元素周期表を作り出した科学者
ドミトリ・メンデレーエフ(1834-1907)
を紹介します(*^▽^*)
◆ドミトリ・メンデレーエフはロシアの西シベリアで14人の子どもの末っ子として誕生します。
1849年に貧しい家族でサンクトペテルブルクに移り住み、1850年に高等師範学校へ進学しました。
職を転々としながらも1865年、サンクトペテルブルク大学の員外教授に着任、のちに正教授となり、1869年にロシア化学学会で元素の周期表の論文を発表します。
上図はメンデレーエフが一番最初に発表した周期表で、当時はこの順番を疑う者も少なくありませんでした。
しかし、彼が周期表に空欄を作って予言した場所に次々と新元素が発見されていき、その正確さが証明され、この周期表は高く評価されるようになるのです。
この功績を讃えて、101番目の人工元素は「メンデレビウム」と名付けられました。
彼の周期表の発見には逸話があって、
元素の原子量と化学的特性について考えこんでいたメンデレーエフは眠りに落ちてしまうのですが、
居眠りの最中に、すべての元素が原子量の順に並んだ表を夢の中で見ます。
彼は起きたときにこれを紙に書き起こし、周期表の発想に至ったとされています。
1890年、彼はサンクトペテルブルク大学の学生の奨学金の増額を文部大臣に要求しますがこれを拒否され、それに抗議して同大学を辞職します。
辞職したあとは海軍省の依頼で無煙火薬を研究して、1891年までにピロコロジオンを発明しますが、コスト面の問題があって、これが海軍で採用されることはありませんでした。
1892年、王立協会の外国人会員に選出され、同年に度量衡局の所長となります。
1906年、ノーベル化学賞候補に選出されますが一票差で落選、翌年に死去します。
最近では彼の「石油の無機起源説」が再評価されています。
◆名言
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一生努力し続けること、それ以外を天才とは言わない
むかちん