むかちん歴史日記333 存在の意味を考え続けた哲学者たち③ 哲学者であり、数学者で、新たな存在論を提起した~ライプニッツ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、存在の意味を考え続けた哲学者たちシリーズの第三弾!!!
哲学者であり、数学者で、「予定調和説」を提唱した
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)
を紹介します(*^▽^*)
◆ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツは、1646年にライプツィヒで誕生します。
1661年にライプツィヒ大学に入り、数学と哲学を学んだほか、イエナ大学で法学と史学、アルトドルフ大学で法学の博士となります。
1668年にマインツ選帝侯に仕え、このマインツ時代から多数の文通を行っていたそうです。
1673年、庇護者であったマインツ選帝侯が亡くなったため、職を失うことになり、
パリで求職活動をしながら、多くの学者と交流を持ちました。
現在も使われている記号は彼の考案によるところが大きいそうです。
一方でライプニッツは記号に憑りつかれていたといえるほど、こだわりを持っていた人物で、
論理学における形式言語にあたるものを初めて考案しました。
それを使えば、どんな推論も代数計算のように、単純で機械的な作業に置き換えることができると考え、優秀な人材が行えば、それは5年ほどで実現するに至ると信じていたようですが、
実際には300年のときを要して、それが実現されることとなりました。
1676年、カレンベルク候、ヨハン・フリードリヒによって顧問官兼図書館長に任じられて、ハノーファーへ移住、生涯その地で過ごすことになります。
1700年にはベルリンに招かれ、ベルリン科学アカデミーの設立に尽力して、初代会長に就任、1710年にはアムステルダムの出版社から「弁神論」を匿名で刊行、
1714年には『モナトロジー』の草稿を書き上げます。
彼は「予定調和説」を提唱し、現在でも形而上学で提示される「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という問いを一番最初に定式化したと言われています。
なぜこの世界があるのか、という問いに対し、「神があらゆる可能世界の中から最も良い世界を選んでこの世界を現実化した」という最善説を唱えました。
現代からすると非常に神学的な回答になっていますが、当時の社会背景では、おかしなことではありませんでした。
カントがこうした神学的な回答を批判するまでは、こうした論証も存在しえたのです。
この『モナトロジー』は彼の死後である1720年に刊行されました。