むかちんの歴史日記

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むかちん歴史日記393 世界を代表する女性芸術家③ 18世紀で最も著名な女性画家~エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は世界を代表する女性芸術家シリーズの第3弾!!!

 

18世紀で最も著名な女性画家として知られる

 

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

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参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%82%A7%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3

 

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランは1755年に画家の娘としてパリで誕生し、親から最初の絵画教育を受けますが、様々な当時の画家たちからの助言を受け、強く影響を受けます。

 

彼女は10代の前半からすでに職業として肖像画を描いており、貴族の肖像画などを描きました。

マリー・アントワネット肖像画を描くために、ヴェルサイユ宮殿に招かれ、これを描くと、王妃は大変喜んだそうです。

そこから数多くの王族や貴族の肖像画を依頼されます。

 

1783年、当初、夫が画商であるという理由から反対を受けましたが、フランスの王立絵画彫刻アカデミーの会員になります。

この背景にはマリー・アントワネットが強固に推し、ルイ16世に圧力をかけたために、その他会員の反対を押し切ることができた、と言われています。

 

フランス革命が勃発すると、ルブランはフランスを逃れ、イタリア、オーストリア、ロシアで暮らし、画家として働きます。

ローマでは作品が絶賛され、ロシアでは貴族から歓迎を受けて、エカチェリーナ2世や皇族を多数描きました。

 

革命政府転覆後の1802年にルブランはフランスへ戻り、ヨーロッパの上流階級の肖像画などを描きますが、ナポレオン・ボナパルトとは途中で折り合いが悪くなり、一時スイスへ行きますが、王政復古すると、ルイ18世から手厚く迎え入れられ、フランスを安住の地にします。

 

晩年も旺盛に創作活動を続け、1842年に亡くなります。

 

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プロイセンのルイーズ王妃』(1801年)

 

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%82%A7%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3