むかちん歴史日記270 世界に影響を与えた賢者たちシリーズ⑤ 実存主義の提唱者〜サルトル
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*´∀`*)
今日は世界に影響を与えた賢者たちシリーズの第5弾!!!
実存主義の提唱者、
サルトル(1905-1980)
を紹介します(〃^∇^)o_彡☆
1905年、サルトルはフランス、パリにて誕生します。
生後15ヶ月で海軍将校だった父が逝去、フランス系ドイツ人の母方の祖父に育てられます。
この祖父がドイツ語の教授であり、サルトルの知的好奇心を大いに刺激されます。
3歳の時に、右目を失明します。
1928年、アグレガシオン(1級教員資格)に落第するものの、翌年には首席で合格、
1931年には高等中学校の哲学科の教員になります。
哲学・文学両面に渡る執筆活動を行い、1938年には小説『嘔吐』を執筆して名声を博します。
1943年、『存在と無』を出版し、フッサールとハイデガーに色濃く影響を受けたものとなっています。
戦争体験を通じて次第に政治的関心を強めていったサルトルは、
1945年にはボーヴォワールやメルロー=ポンティらと雑誌『レ・タン・モデルヌ』を発行し、以後、著作活動の多くはこの雑誌を中心に発表されます。
戦後、サルトルの実存主義はフランスを中心に世界中を席巻します。
サルトルは徐々にマルクス主義に傾倒するようになり、ソ連を擁護する立場を取ります。
政治的立場を鮮明にしていき、第三世界の民族独立を支持、ソ連の侵攻については批判も加えます。
サルトルはノーベル文学賞にも選出されますが、「作家は自分を生きた制度とすることをしてはならない」とこれを拒絶。
ノーベル賞を辞退します。
サルトルは実存主義の思想家で、特に彼の場合は「実存は本質に先立つ」と主張して、
1973年に激しい発作に襲われ、両目とも失明します。
1980年、肺水腫により死去。74歳でした。
◆名言
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悲しむことはない。いまの状態で何ができるかを考えて、ベストを尽くすことだ
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人は自分があろうとする姿以外にはありえない。このことが実存主義の第一原則である
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自由であること、それは望み通りのことが出来ることではない。出来ることをやりたいと望むことである
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自由とは、自由であるべく不自由になることである
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むかちん