むかちん歴史日記208 命がけで使命を全うした世界中の偉人をめぐる旅行シリーズ③ 戦地で献身的に看護をした女性~フローレンス・ナイチンゲール
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は命がけで使命を全うした世界中の偉人をめぐる旅行シリーズの第3弾!!
危険な戦地で看護をし、医療改革をしてきた
フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)
を紹介します(*^▽^*)
◆ナイチンゲールはイギリスの裕福な家庭で生まれ育ち、
フランス語、イタリア語、ギリシア語やラテン語などの教育もうけ、
哲学や絵画など、あらゆる教育を受けていました。
しかし、慈善訪問の際に接した貧しい農民をみて、人に奉仕する仕事を志すようになります。
ドイツの病院付学園施設カイゼルスベルト学園に滞在し、
ここで看護の教育を受け、看護師を志すようになります。
ロンドンの病院に就職し、婦人病院長にもなり、当時は病院の召使程度に見られていた看護師への専門的教育の必要性を訴えます。
ロンドンタイムスの特派員ウイリアム・ハワード・ラッセルが前線の負傷兵の悲惨な扱いを報じると、世論が沸騰、ナイチンゲールも自ら看護婦として従軍することを決めます。
当時、兵舎病院は極めて不衛生な状況で、現地の軍医は看護師が入ってくるのを拒否していたが、
ヴィクトリア女王からシドニー・ハーバード戦時大臣に対し、ナイチンゲールからの報告を直接自身に届けるように依頼、ハーバード大臣が病院にそうした張り紙をしたことから、
ナイチンゲールは大きな後方支援を得ることになります。
ナイチンゲールらの働きにより衛生状態は改善され、死亡率も下がります。
このときの働きから、ナイチンゲールはしばしば「クリミアの天使」といわれます。
クリミア戦争講和後は、帰国し、ナイチンゲールは数々の統計資料を作って、病院の改革に乗り出します。
ナイチンゲールのこうした働きから、彼女は統計学の先駆者と呼ばれ、
1859年にイギリス王立統計学会の初の女性メンバーに選ばれ、後にはアメリカ統計学会の名誉メンバーに選ばれました。
なお、ナイチンゲールはボランティアによる救護活動を行う常設組織の設立には一貫して反対している。
これは自己犠牲では長続きなどしないことを見抜いていたからであり、
「犠牲なき献身こそ真の奉仕」という有名な言葉にも表れています。
同様の学校がイギリス国内に波及していき、現在に近い看護師養成体制が整い始めます。
彼女は37歳で倒れてからはほとんどベッドの上で過ごし、
1910年、90歳で逝去します。
◆名言
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天使とは美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ
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最後にいえるのは、自分に関わっている時間をどう使い、やりたいことを遂げるかは、すべてわたしにかかっている
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すべての物事は、それにつぎ込んだ努力にほぼ等しい成果があるものだ
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物事を始めるチャンスを、私は逃さない。たとえマスタードの種のように小さな始まりでも、芽を出し、根を張ることがいくらでもある
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人間は一生に一度きりではなく、一日ごとに気持ちを改めていかなければならない
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人に対する批判的な心をやわらげる最良の方法は、自分が批判している相手の役に立とうと努めることです。私自身の経験からそう申し上げることができます
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人生を生きるには、修練が必要である。「まずまずの目的、過ち多き行為、ぐらぐらしている意志」のうちに人生をうやむやに過ごしてはならない
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私の人生観は単純だ。すなわち目をそむけることなく人生と折り合っていくということだ
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価値ある事業は、ささやかな、人知れぬ出発、地道な労苦、向上を目指す無言の、地道な苦闘といった風土のうちで、真に発展し、開花する
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人はその人が考えた通りの人生を生きる
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馬鹿からの賛同は批判よりも迷惑である
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才能は長い努力の賜物である
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どんな仕事をするにせよ、実際に学ぶ事ができるのは現場においてのみである
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進歩し続けない限りは、 後退していることになるのです
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むかちん