むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記209 命がけで使命を全うした世界中の偉人をめぐる旅行シリーズ④ 黄熱病研究に命を尽くした~野口英世

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

今日は命がけで使命を全うした世界中の偉人をめぐる旅行シリーズの第4弾!!

黄熱病研究に命を注いだ

 

野口英世(1876-1928)

 

f:id:ooemaru:20181102092908j:plain

参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E8%8B%B1%E4%B8%96

 

野口英世は1876年福島県に生まれます。

本名を清作といいます。

 

1歳のときに囲炉裏に落ちて大やけどを負い、その障害から農作業が難しかったため、学問の力で身を立てるよう、母に諭されます。

 

1892年、左手の障害を嘆く清作の作文が教師や同級生の同情を誘い、募金が行われた結果、野口は手術を受け、左手の指が使えるようになります。

 

このことに感動した清作は医師を目指すようになります。

 

翌年、小学校を卒業後、自分を手術してくれた病院で書生として医学を学び、この頃に細菌学と出会います。

 

のち、英世は医師免許を取得したものの、開業資金がなく、またやけどの左手を患者に見せたくないという思いから、基礎医学研究者の道を進むことを決意します。

 

順天堂医院の助手として働いたのち、北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所に勤め始めます。

この頃に当時流行していた坪内逍遥の「当世書生気質」を読んだところ、

弁舌を弄し借金を重ねつつ自堕落な生活を送る登場人物・野々口精作が彼の名前と酷似していることや、彼自身借金を繰り返して遊郭に繰り出すような性格をしていたため、

 

このモデルだと邪推されるのではないかと思い、

あの手この手で戸籍も変え、名を「英世」に改めます。

 

1899年にはペスト対策の国際防疫班として清国へ渡りますが、翌年義和団事件により、清国の情勢が悪化し、日本へ帰国します。

 

その後、アメリカへ渡航し、ペンシルバニア大学医学部の助手となり、蛇毒の研究論文がアメリカの医学界で認められます。

 

デンマークコペンハーゲンの血清研究所へ留学、そこからアメリカへ戻った後は

ロックフェラー研究所へ移籍します。

 

1918年、英世はロックフェラー財団の意向を受けて、まだワクチンのなかった黄熱病の病原体発見のため、黄熱病が流行していたエクアドルへ赴きます。

 

英世はここで病原体の特定に成功、この結果をもとに開発された野口ワクチンにより、事態は収束していきます。

 

その後、この病原体ではないところから黄熱病が発生しているなど

研究で野口否定説なども出てきました。

 

野口は研究をし続けますが、

最期は自身も黄熱病を患い、51歳で逝去します。

 

◆名言

ーーーーーーーーー

誰よりも三倍、四倍、
五倍勉強する者。
それが天才だ。

 

ーーーーーーーーー

家が貧しくても、
体が不自由でも、
決して失望してはいけない。

人の一生の幸も災いも、
自分から作るもの。

周りの人間も、周りの状況も、
自分から作り出した影と知るべきである。

 

ーーーーーーーーー

私は少しも恐れるところがない。
私はこの世界に、
何事かをなさんがために
生まれてきたのだ。

 

ーーーーーーーーー

過去を変えることはできないし、
変えようとも思わない。

なぜなら人生で変えることができるのは、
自分と未来だけだからだ。

 

ーーーーーーーーー

人は能力だけでは、
この世に立つことはできない。
たとえ、立身しても、機械と同様だ。

人は能力と共に、
徳を持つことが必要である。

 

ーーーーーーーーー

ナポレオンは、
夜3時間しか眠らなかった。

彼になしえられる努力が、
自分になしえられぬはずがない。

 

ーーーーーーーーー

絶望のどん底にいると想像し、
泣き言をいって絶望しているのは、
自分の成功を妨げ、
そのうえ、心の平安を乱すばかりだ。

 

ーーーーーーーーー

むかちん