むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記186 挑戦し続ける日本の経営者シリーズ① 三菱財閥創始者~岩崎弥太郎

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、挑戦し続ける日本の経営者シリーズの第一弾!!!

三菱財閥創始者

 

岩崎弥太郎(1835-1885)

 

を紹介します(≧▽≦)

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%B4%8E%E5%BC%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E

 

◆岩崎は1835年に土佐で誕生します。

岩崎家は甲斐の武田家の系譜といわれ、家紋も武田菱に由来するという伝承もあるそうです。

 

岩崎は頭脳明晰で12歳で儒者の小牧米山に弟子入りし、14、15歳で詩歌の才能を発揮していました。

 

1854年に江戸へ行き、昌平坂学問所教授、安積艮斎(あさかごんさい)の門人になります。

猛勉強中であった岩崎ですが、父が酒席で庄屋と喧嘩となり、投獄されたことを知ると、帰国。

釈放を訴えますが、しつこかったのか疎まれ、岩崎自身も投獄されます。

 

このとき、牢獄にいた商人から算術や商法を学んだことが、岩崎のその後の事業経営に大きな影響を与えていきます。

釈放されるものの村を追放となり、岩崎は吉田東洋の少林塾で学び始めます。

ここで、後藤象二郎らと出会います。

 

岩崎が吉田東洋に目をかけられたきっかけとして、

後藤に与えた宿題で、後藤の回答が彼にしてはできすぎていると感じた吉田は後藤を問いただすと、正直に岩崎が代筆したものだと認めます。

 

ここから岩崎に目をかけるようになるのです。

 

1858年、井伊直弼日米修好通商条約に調印、その後、安政の大獄が起こりますが、

吉田は放免され、土佐の政治に携わります。

このときに海外の調査として長崎へ調査団を送る際にその一人に岩崎が選ばれました。

 

岩崎はたびたび長崎を訪れる機会が生まれ、ここで海外事情なども学ぶことになります。

 

1862年尊王攘夷派により、吉田東洋が暗殺されると暗殺した犯人を追いかけて大阪へ向かいますが、

当時京都、大阪は尊王攘夷派が勢いを増していたため、捕縛は不可能と判断、引き返します。

 

土佐藩後藤象二郎を中心に、土佐の品を江戸や長崎で売って、富国強兵を目指しますが、なかなかうまくいきませんでした。

そこで1867年に岩崎を抜擢、岩崎はここで欧州の各商社と渡り合い、事業家として腕を磨きます。

 

一方で1866年に坂本龍馬の仲介で、薩長同盟が成立。

岩崎は龍馬が設立していた海援隊経理担当となります。

 

1867年、龍馬が暗殺されると、海援隊は分裂、1868年解散しますが、

海援隊の事業を後藤が土佐商会として、岩崎が九十九商会として継承し、

岩崎のこれがのちの日本郵船や三菱商会に発展していくのです。

 

岩崎はその後、明治新政府の要人となった後藤から、藩札を政府が買い上げて、

藩札禁止令が出されるという噂を聞くと、

藩札を大量に買い占めて、禁止令が出されると、明治新政府に売り渡すことで

巨万の富を得ました。

 

現代で言えばインサイダー取引のようなものですが、

当時は特にそういった規制もありませんでした。

 

1871年廃藩置県となると九十九商会の経営は岩崎に一任されます。

海上輸送に非常に力を入れ、1873年に三菱商会と改称、

このときに三菱マークが誕生します。

 

これは土佐藩主であった山内家の家紋と岩崎家の三階菱の家紋を合わせて作ったロゴマークでした。

 

当時の海運最大手は日本国郵便汽船会社でしたが、非常に横柄であったため、

三菱商会のお客本位の対応は非常に喜ばれたそうです。

 

岩崎は笑顔のできない従業員に小判を見せて、お客様を小判と思え、と指導していたとか。

 

三菱商会は政府からの助成も受け、

さらには軍事輸送のほとんどを独占し、巨額の富を得ます。

船籍数も国内の71%を誇り、岩崎は「東洋の海上王」とまで呼ばれるようになりました。

 

東京海上保険にも出資し、輸送保険も手がけました。

 

三井財閥系も共同出資の輸送事業を開始、競争の激化の最中、

岩崎は亡くなります。50歳でした。

 

◆名言

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小事に齷齪(あくせく)するものは大事ならず。

よろしく大事業経営の方針をとるべし。

 

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国家的観念をもって

すべての経営事業にあたるべし。

 

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奉公至誠の念に

すべて寸時もこれを離るべからず。

 

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勤倹身を持し、

慈善人にまつべし。

 

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部下を優遇するにつとめ、

事業上の利益は、

なるべく多くを分与すべし。

 

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およそ事業をするには、

まず人に与えることが必要である。

それは、必ず大きな利益をもたらすからである。

 

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機会は、人間一生のうちに誰でも、

一度や二度は必ず来るものである。

それをとらえそこねると、

その人は一生立身できない。

 

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自信は成事の秘訣であるが、

空想は敗事の源泉である。

ゆえに事業は必成を期し得るものを選び、

いったん始めたならば百難にたわまず勇往邁進して、

必ずこれを大成しなければならぬ。

 

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むかちん