むかちん歴史日記172 偉大な世界の経営者シリーズ② GM創業者~ウィリアム・C・デュラント
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
偉大な世界の経営者シリーズの第2弾ということで
GM創業者
ウィリアム・C・デュラント(1861-1947)
を紹介します(*^▽^*)
◆デュラントは「小柄で、活力に満ちた、心の温かい人物。誰もが親しみを込めてビリーと呼んだ。」といわれます。
学業の途中から働き始め、めきめきと営業センスで頭角を現します。
25歳のときに友人と馬車販売会社を友人と設立し、当初下請けに出した馬車製造も含めて、垂直統合で大量生産を行いつつ、全米各地に販売網を整備しました。
これで彼は40歳を前にミリオネアになります。
この手腕が買われ、自動車製造で破産寸前だったビュイック社事業を請われました。
嫌っていた自動車事業でしたが、馬車事業での流通網などを駆使して、全米トップの売り上げに成長、フォードと競うレベルにまで成長しました。
さらにビュイック社を基盤とした企業トラストを行い、1908年にゼネラルモータース(GM)を設立します。
しかし、拡大策で失敗をきたし、1910年に銀行の意向で、GMの経営権をはく奪されます。
しかし、デュラントは1911年にビュイックレースチームのレーサールイス・シボレーをコンサルタントとして、シボレー社を起業、低価格大衆車を販売したため、一躍人気となります。
こうして、GMの株式も買い戻し、デュラントはGMに復帰することとなります。
1920年、第一次世界大戦後の金融危機でGM株が暴落し、莫大な負債を負い、デュラントはGMを去ります。
しかし、彼はその株取引能力で何度富豪となり、デュラント・モータースを設立、
銀行も手掛けて、さらに複数の自動車ブランドも保有しました。
1929年の世界恐慌で会社も自身の破産しますが、それでも新規事業を立ち上げようという意欲は衰えることを知らず、デュラントはレクリエーションやレジャーが次世代産業となると確信して、スーパーマーケット、ドライブインレストラン、ボウリング場などを経営しました。
1947年に85歳で亡くなりますが、彼の生涯は決してあきらめない不屈の魂と努力の物語といっても過言ではありません。
デュラントはフォードに比べると、やや注目されないきらいがありますが
「自動車開拓時代の巨人たちの多くとは異なり、デュラントは工房の技術屋ではなかった。他の人たちが自動車を作り上げたのに対して、彼は組織を作り上げ、しかも、それを華々しい火花とともにやった。」とデュラントの伝記を記したローレンス・ガスティン(Lawrence Gustin)が語っています。
◆名言
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多少の手違いなんか忘れろ。失敗も忘れろ。自分がいま、これからしようとしていること以外は全部忘れてやろうじゃないか
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金とはなにか? それは一時的に人間に貸しだされただけのものだ。生まれてくるときにはまったく持っていないし死ぬときも持っていけない
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(GM販売の哲学)セールスとは売りつけることではなく買う気にさせること
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勉強する事は自分の無知を徐々に発見していく事である。
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むかちん