第173話 偉大な世界の経営者シリーズ③ ケンタッキーの生みの親~カーネル・サンダース
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)
今日は世界の経営者シリーズ第3弾ということで、
日本でも親しまれているケンタッキーの生みの親
カーネル・サンダース(1890-1980)
を紹介します♫
◆カーネル・サンダースは、本名はハーランド・デーヴィッド・サンダースといいまして、カーネルというのはケンタッキー州への貢献を称えられて与えられた「ケンタッキー・カーネル」という名誉称号から来ている名前です。
サンダースは6歳のときに父親が亡くなったため、母親に育てられたが、貧しかったため、10歳で働きに出て、14歳のときには農場で働いていました。
1906年に軍隊に入り、1907年には除隊、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど40種に上る職を転々としました。
30代後半には、ガソリンスタンドの経営などにも乗り出しますが、
恐慌のあおりを受けて倒産します。
サンダースの青年期はかなり波乱の人生だったと言えます。
1930年、サンダースはケンタッキー州で新たにガソリンスタンドの経営を始めます。
そこで客に言われたひとことから、物置を改造して、一角で始めたのが、「サンダースカフェ」です。
サンダースはガソリンスタンドの支配人と調理師とレジ係を兼ねていました。
これが繁盛して、1935年には州の料理への貢献として「ケンタッキー・カーネル」の称号を与えられるのです。
1937年にはモーテルを併設した大型のレストランへと拡大。
ここの目玉商品がフライドチキンでした。
◆サンダースがフランチャイズ化に乗り出したのは1952年のことでした。
各地のレストランにフライドチキンの調理法を教えて、フィーを得るというやり方で
このときに最初のフランチャイジーとなったピート・ハーマンから提案された名前が「ケンタッキー・フライドチキン」です。
彼がここに至るまでには1009回断られたそうです。
70近いサンダースがFC契約をとるためにあくせく営業して回るというのは相当過酷だったと思うのですが、
なけなしの金をはたいて、営業活動をしたそうです。
交通の流れも変わり、サンダースカフェに人が入らなくなると、サンダースはこれを手放しました。
資産はほとんど残りませんでしたが、サンダースはフランチャイズに力を入れ
1960年には米国とカナダで400店舗にまで育てあげます。
1964年、74歳のサンダースは一線を退きますが、味の親善大使として、製法が守られているかを世界各地を見て回りました。
生前、彼は日本のケンタッキーが一番気に入っていると発言しており、日本びいきであったとされます。
サンダースは1980年、90歳で亡くなります。
◆名言
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私がやったことなど、誰にもできる事だ。ポイントはただ一つ。心から『やろう』と思ったかどうかである。心が思わないことは、絶対に実現できない
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私にはたった二つのルールしかなかった。できることはすべてやれ。やるなら最善を尽くせ。これが何かを達成する感覚をつかむ唯一の道だ
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最後に息を引き取るまで、夕暮れは暗闇にはなりません
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走るのを止めた人間は、そこから一気に坂を転げ落ちるものだ
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世間では、正式に学校に通った者たちだけが、"教育された人間" だと思われているようですが、決してそうではないと思います。相当な成功を収めた人たちの中にも、中学校さえ出ていない人たちがたくさんいることを私自身知っているからです
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自らが与えたものが手に入る
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何歳であろうと、根性があって、やる気と信念があるならば大丈夫。それがすべてにおいて最も大きな要素です
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掲げた目的に向かって正直であり、心から他人に尽くし、きちんとした商品を売っているなら、すでにあなたは "進み続ける価値のあるもの" を築き上げているのです
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勤勉さを忘れ、自分の失敗について世間を責めて過ちを正当化しようとしてはいけません
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人は、自分が "やれる" と思うか "やりたい" と思う分だけ前進できる
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諦めて失速しない限り、じつはまったく新しい人生をそこから築くことが可能なのです
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私が仕事をする上での秘訣があるとするなら、きつい骨も折れるような仕事も厭わないということです。重労働が当たり前の農家で育ちましたからね
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あなたは本当に老いていくのではありません。自分が老いたと感じた分だけ、思い込んだ分だけ歳を取るのです。あなた自身が "歳を取った" と思わない限り、いくつになってもやれる仕事はたくさんあるのです
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人生はその人の生き様によってつくられるものだ
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フランチャイズ店舗は私の子どもだと思っています。彼らのためだったら、いつでも人肌脱ぎますよ
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私は自分の最前を尽くしてきました。お説教するつもりはありませんが、最前を尽くしてきたからこそ、いま、私はその見返りを享受しているのです。私のアイディアから広がっていった『ケンタッキーフライドチキン』という会社が今も成長しているという事実がなによりの証拠ではありませんか
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私のビジネス哲学は、10歳の時、月給たった2ドルの農場仕事をクビになった時に固まりました。母に言われた通り、「人生の良きことは働くことによってのみ手に入れられるのだ」とね
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一番大切なことは、誰か他人のために善きことを行うにしても、やってしまったことを償うにしても、人生に無駄なことはない。すべての行いに意味がある
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できることはやれ
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(30代後半独立した時の言葉)自分の将来は自分で決めよう
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成功しようと思ったら、はじめは楽せず、苦労することが必要だ
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むかちん