むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記146 映画・テレビ・舞台俳優シリーズ① サイレント映画時代の二枚目俳優~阪東妻三郎

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日からは、映画・テレビ・舞台俳優シリーズということで、第一弾!!

サイレント映画時代の二枚目俳優

 

阪東妻三郎(1901-1953)

 

を紹介します♪♫

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E6%9D%B1%E5%A6%BB%E4%B8%89%E9%83%8E

 

 

阪東妻三郎は俳優の田村高廣さん、田村正和さん、田村亮さんの父親です。

阪東妻三郎は、1916年に尋常小学校高等科を卒業したのち、立身出世を求めて、

歌舞伎役者の15代目市村羽左衛門の邸宅に飛び込むが門前払い、

失意の中、近所の十一代目片岡仁左衛門の邸宅に飛び込んだところ、受け入れてもらえたという。

 

二年辛抱して雑用などをこなしてきたが、家柄と因襲が大切な歌舞伎ではなかなか結果を出せないとみて、芝居ならもっと修行できるし、金にもなる、といったところから、

ちょうど吾妻座から声がかかったのもあり、一座に入ります。

結局下っ端で何も得られず、仁左衛門の下に戻ることになります。

 

◆1923年、牧野省三(俳優津川雅彦さんの祖父にあたります)が京都にマキノ製作所を結成、阪東は最後のチャンスと入社し、悪役メインで活躍します。

たまたま同じ下宿にいた脚本家の寿々喜多呂九平と意気投合し、彼が阪東のために書き上げた「鮮血の手型」が阪東の初主演作となり、その後も二人で組んで作った作品がヒット、阪東の役者としての地位は不動のものとなります。

一時は阪東妻三郎プロダクションを作って剣戟映画を中心に制作の陣頭指揮も取り始めました。

剣戟王として、名をはせ、昭和の剣戟ブームを巻き起こした名優でした。

サイレント映画で主演、同時代の子供たちで阪東を知らない人はいないといわれたくらいで、子供たちは阪東を見てチャンバラの真似をしていたそうです。

 

◆プロダクションをたたんだのちは日活、大映で活躍し、次々と出演、名優と呼ばれるようになっていきます。

戦後も松竹に移り、活躍しますが撮影中に高血圧で体調を崩し、死去。51歳でした。

 

 

むかちん