むかちんの歴史日記

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むかちん歴史日記342 お笑い・映画・ドラマで活躍した名優たち② 映画界を牽引した名優、俳優佐藤浩市さんの父~三國連太郎

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、お笑い・映画・ドラマで活躍した名優たちの第二弾!!!

 

日本の映画界を牽引した個性派俳優で、

現在も活躍している俳優佐藤浩市さんの父にもあたる

 

三國連太郎(1923-2013)

 

を紹介します。

 

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参照元 

https://eiga.com/person/71348/

 

三國連太郎は1923年、群馬県太田市で誕生します。

三國の母親は16歳で一家が離散して、広島県呉市の海軍軍人の家に女中奉公している際に、三國を身ごもったため、家を出され、帰郷した静岡県で、三國の育ての父と出会い結婚します。

 

三國が誕生して数か月後に一家は静岡県に戻ります。

 

1943年、三國は大阪で働いていたが、徴兵通知が届きます。

母親はようやく三國も天子様(天皇陛下)に奉公ができると言ったが、

三國は死にたくないという思いが強く、山口県まで逃亡、最終的には憲兵に捕まります。

 

三國は中国の前線へ送りだされ、戦地へ向かう途中に熱病にかかり、10日間意識不明となったので、死んだものとして扱われ、工場の隅でむしろをかぶされていたが、

 

いざ焼く番となって、むしろを開けたときに目を覚ましたといいます。

 

ここで、三國は終戦を迎えるのです。

 

1945年の敗戦後、三國は中国から日本へ帰還する際に、妻帯者のほうが先に帰されると聞いて、同じ佐藤姓の女性と偽装結婚して、帰国します。

 

1950年、単身上京して福島県で闇商売をするものの、挫折。

同年に銀座を歩いていたところに松竹のプロデューサーにスカウトされ、松竹大船撮影所に演技研究生として入ります。

 

1951年『善魔』でデビューし、そのときの役名である「三國連太郎」を芸名にします。

この作品で第二回ブルーリボン賞を受賞します。

 

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参照元 

https://filmarks.com/movies/26623

 

三國はとても奔放な性格で、当時映画界のルールなども知らなかったので、

松竹に内緒で東宝の映画の主演に立候補して、ひと悶着起こすなど、ちょっとした問題児とされましたが、そこが持ち味と評価する声もありました。

 

結婚も4度経験していて、俳優の佐藤浩市さんは3番目の妻との間に誕生した子どもでした。

 

1988年からは人気シリーズ、『釣りバカ日誌』の鈴木社長ことスーさんの役で知られ、

生涯の仕事となります。

 

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参照元 

https://www.j-cast.com/2018/12/24346743.html

 

2013年、急性心不全で死去。90歳でした。

「戒名はいらない。三國連太郎でいい」と語っていたそうです。

 

むかちん