むかちん歴史日記495 戦争に翻弄された人々⑤ 満州出身の大物女優~赤木春恵
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は戦争に翻弄された人々シリーズの第5弾!!!
満州出身の大女優、
赤木春恵(1924-2018)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201811/CK2018112902000274.html
9歳のときに南満州鉄道の医師だった父が他界すると、母とともに帰国し、親戚のいる京都で暮らします。
日中戦争の最中であった1940年に赤木は女優の道へ進み、「松竹ニューフェイス」として映画デビューします。
1943年には大映に移籍するも、1945年に松竹で助監督をしていた兄が設立した慰問劇団に参加するために、大映を退社、日本本土への空襲が激しさを増したこともあって、疎開も兼ねて、赤木は生まれ故郷の満州へと渡ります。
そして満州全土を慰問で回ります。
1945年8月、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して、北方から流れ込み、それから数日して日本が全面降伏、満州国も崩壊します。
満州のハルビンで暮らしていた赤木は必死で食いつないでいくために、着物など身の回りのものを売って生活をつないでいました。
また終戦後の旧満州ではソ連兵による日本人女性への暴行事件が発生しており、
赤木自身もいつ襲われるかわからない恐怖とともに仲間と過ごしていました。
ソ連兵は日本人女性がいる場所を探して、アパートの戸を叩いて回り、反応しないと銃で戸を撃たれるので、
女優であった赤木達は機転を利かせて、一番汚い衣装をまとって、おしろいなどで白髪に見せて、汚い老人だと思わせることで自分たちの身を守ったといいます。
ソ連軍が撤退すると、中国の八路軍がやってきて、赤木たちは現地の収容所に入れられます。
ダンスホールで働いてなんとか生計を立てつつ、発疹チフスに感染して、生死の境もさまよいました。
1946年10月、赤木はようやく博多港にたどり着き、帰国します。
1948年、東映へ移籍。
1974年の『四季の家』以来、橋田寿賀子、石井ふく子のドラマへの出演も増え、1979年の『3年B組金八先生』の女性校長、君塚美弥子役で日本中で有名となって、教育の講演会にも呼ばれるほどになりました。
1990年から『渡る世間は鬼ばかり』がスタートし、イビリの姑役が当たり役となります。
2013年には『ペコロスの母に会いに行く』に主演し、88歳にして映画初主演。
これは2008年に82歳で映画初出演を果たした菅井きんの記録を抜く、“世界最高齢での映画初主演女優”として、ギネス世界記録に認定されました。
2018年、心不全のため、亡くなります。94歳でした。
むかちん