むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記145 アジア偉人旅行記シリーズ⑤ アクション映画といえばこの方~ブルース・リー

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

今日は、アジア偉人旅行記シリーズの第5弾!ということで、

アクション俳優といえば、、、で真っ先に登場しそうなこの方

 

ブルース・リー(1940-1973)

 

を紹介します(''ω'')ノ

 

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参照元 

https://eiga.com/person/64266/

 

ブルース・リーは1940年にサンフランシスコの中華街で誕生、その後、当時はまだイギリス領だった香港に帰国しました。

 

戦時中は一時映画製作も止まっていましたが、第二次世界大戦終結を迎えると、リーは8歳ごろから子役として活躍をし始めます。

 

ただ、何不自由なく育つリーを父親が心配し、リーを単身渡米させます。

シアトルで新聞配達のバイトをしながら、ワシントン大学へ進学し、勉学に励む傍ら、かつて学んでいた中国武術の指導も始めます。

その後は大学を中退して、道場経営に専念します。

 

◆リーに転機が訪れたのは1966年、アメリカの「ロングビーチ国際空手選手権大会」で詠春拳の演武をしたフィルムが、テレビのプロデューサーの目に止まり、テレビシリーズの『グリーンホーネット』の準主役に抜擢されたところからでした。

 

派手なアクションで人気となり、ロサンゼルスで俳優やプロデューサーに武術を指導するようになります。

 

1971年には『ドラゴン危機一髪』に主演、香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒットとなり、リーは一躍アクションスターへとのし上がっていきます。

その後の『ドラゴン怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』でリーの地位は不動のものとなります。

 

1973年1月から『燃えよドラゴン』の撮影が始まりました。

しかしリーはその公開を見ることなく、この世を去ります。

この『燃えよドラゴン』で彼の世界的知名度は確立されましたが、

世界中の人が彼を知ったころには彼はすでに亡くなっていたのです。

 

◆名言

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原理原則に縛られることなく、

それに従うのだ。

 

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失敗は、

それを認める勇気さえあれば、

いつでも許されるものだ。

 

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成功する戦士は、

レーザーのような集中力を身につけた、

ごく普通の人間である。

 

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境遇なんてクソくらえだ。

俺は自らチャンスを創りだす。

 

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わたしは一万種の蹴りを

一度だけ練習した男は怖くないが、

一つの蹴りを

一万回練習した男は恐ろしい。

 

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何かを得るには、

心の中でそれを思うことから始まる。

 

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考えているばかりでは、

決して成し遂げることはできない。

 

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俺はお前の期待に応えるために

この世にいるわけではない。

そしてお前も俺の期待に応えるために

生きているのではない。

 

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簡単な人生を願うな。

困難な人生を耐え抜く強さを願え。

 

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幸せであれ。

しかし決して満足するな。

 

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目標は必ずしも

達成されるためにあるのではない。

目指すべき何かを与えてくれることも多い。

 

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不滅の秘訣とは、

まず記憶に値する人生を生きることだ。

 

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失敗を恐れるな。

失敗することではなく、

目標が低いことが罪なのだ。

大きな挑戦ならば、

失敗さえも栄光となる。

 

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人生を大事にしているなら、

時間を浪費してはいけない。

人生は時間の積み重ねなのだから。

 

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人は、

自分が考えた通りの人間になっていく。

 

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むかちん