むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記144 アジア偉人旅行記シリーズ④ ビルマ建国の父~アウンサン

新宿から歴史を発信!!!

むかちんです(^_-)-☆

 

今日は、アジア偉人旅行記シリーズの第4弾!

ビルマ建国の父

 

アウンサン(1915-1947)

 

を紹介します(≧▽≦)

 

f:id:ooemaru:20180829103931j:plain

参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3

 

◆1915年に誕生。1933にラングーン大学に進学し、学生会最高委員会に立候補、機関誌の編集者になります。

この機関紙に反英的な記事を載せ、その記事の筆者を隠したため、大学を退学させられますが、これが全学ストライキを招く結果となり、彼の大学退学は取り消されます。

 

1938年には学生運動から政治運動へ移っていき、反英運動を継続させます。

民主主義団体「自由ブロック」の結党を援助、さらにビルマ共産党の結党メンバーにもなります。

 

◆1941年、日本の真珠湾攻撃により、太平洋戦争が勃発、アウンサンは日本の支援をうけており、バンコクで独立義勇軍を結成します。1942年、遂にイギリス軍を駆逐することに成功します。

その後の日本のビルマに対する態度に懐疑的だったアウンサンは、日本が戦争での敗戦が濃厚となると、イギリス側につくことを決めます。

 

イギリスなど連合国側は戦後、ビルマの独立を認める気はなかったが、

利用価値があるとみて援助、ビルマは抗日戦線で日本を駆逐します。

 

◆戦後、日本には勝利したものの、ビルマは案の定、独立は認められず、

アウンサン自身はイギリスから地位を与えられたが、受けませんでした。

彼はイギリス政府と独立への交渉を続けます。

1947年、アトリーとの間で独立を確認するアウンサン・アトリー協定に調印。

1年後のビルマの独立を謳ったものでした。

 

しかし、アウンサンはビルマの独立を見ることなく、暗殺されてしまうのです。

 

ビルマは現在、ミャンマーとなり、彼の娘であるアウンサン・スーチー女史が民主化のために奮闘しています。

 

むかちん