むかちん歴史日記124 ウインストン・チャーチル
新宿から歴史を発信!!むかちんです(*'▽')
今日はイギリスの名宰相
ウインストン・チャーチル(1874-1965)
を紹介します♪
◆チャーチルは1900年に保守党から立候補して下院議員になります。
政治活動の最中、自由貿易主義者となり、保守党から自由党へ転じます。
商務大臣、内相を務めたのちに、海軍大臣となり、第一次大戦を迎えます。
しかし、ガリポリの戦いで、トルコに敗れ、その責任をとって辞任します。
しかし、1917年、ロイド・ジョージ内閣連立内閣で再入閣、軍需相、陸相などを歴任します。
共産主義の脅威を目の当たりにして、その後再び保守党に転じます。
◆1930年代に入ると、ナチスを中心としたファシズムの脅威にさらされ、ドイツに対して、宥和政策をとっていたネヴィル・チェンバレンを批判します。
ドイツ軍がノルウェーに侵攻するとそれを抑えられなかったとして、ネヴィル・チェンバレンは総辞職し、1940年、チャーチルが首相となります。
チャーチルは、ドイツがソ連との共通の敵になるという認識から英ソ軍事同盟を成立させ、1941年には日本の真珠湾攻撃により、アメリカも参戦します。
米英ソが中心となって、戦後構想なども練られました。
◆1944年、チャーチルが主体となって、ノルマンディー上陸作戦を敢行、ドイツ本土空爆を行い、ソ連がベルリンに侵攻したことにより、ドイツの敗戦は決定的となり、
1945年ヒトラーは自殺、ドイツは無条件降伏します。
◆戦後、チャーチルは労働党のアトリー内閣にとって代わられますが、講演活動などを精力的に行い、
「鉄のカーテン演説」といった反共活動に精を出します。
その後1951年、第二次チャーチル内閣が成立、核実験などを行い、米ソに続く第三の核保有国となるのです。
◆名言
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力や知性ではなく、地道な努力こそが能力を解き放つ鍵である
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民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが
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敵がいる?良いことだ。それは、人生の中で何かのために立ち上がったことがあるという証だ
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態度と言うのはちょっとしたものだが、大きな違いを生み出す
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全力を尽くすだけでは十分ではない。時には必要なことをやらなければ
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成功があがりでもなければ、失敗が終わりでもない。肝心なのは、続ける勇気である
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私は血と苦労、涙と汗以外に捧げるべきものを持たない
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私はいつでも学ぶことをいとわないが、教えられるのをいつも好むわけではない
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向上とは変化である。完全になるとは、しばしば変化することである
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もしも地獄の真っ只中にいるのなら、そのまま突き進むがいい
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正直であることは立派なこと。しかし正しくあることも大事だ
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一度剣を抜いた以上は、息が絶えるまで勝利を完全に手中に収めるまで剣を捨ててはならぬ
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誠実でなければ、人を動かすことはできない。人を感動させるには自分が心の底から感動しなければならない。自分が涙を流さなければ人の涙を誘うことはできない。自分が信じなければ、人を信じさせることはできない
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日々正直に行動することが、成功に達する最も確実な道だ
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行動する事は少しも恐れはしない。恐れるのは、ただ無為に時を過ごす事だけだ
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成功とは、失敗を重ねてもやる気を失わないでいられる才能である
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何が本当に自分の利益であるか、ということを知ることは容易ではない
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決して屈するな。決して、決して、決して!
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むかちん