むかちん歴史日記125 九州が生んだ名推理作家〜松本清張
新宿から歴史を発信!!むかちんです(〃^∇^)o_彡☆
今日は九州が生んだ名推理作家、
松本清張(1909-1992)
を紹介します(*´∀`*)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B8%85%E5%BC%B5
◆松本清張は九州、福岡の小倉出身、、、、とされていますが、
本人的には、広島出身と公言しているそうです。
一旦は九州前提で話を進めます。
清張は小説家を志すようになり、
15、16才ごろに愛読していたのは、芥川龍之介だったそうです。
逆に志賀直哉についてはその良さがさっぱりわからなかったと言っています。
1952年「或る『小倉日記』伝」が坂口安吾から激賞され、
芥川賞を受賞します。
そこから作家活動に人生を捧げることなります。
◆1956年に朝日新聞社を退社し、本格的に作家活動を開始すると、
1957年、『顔』が日本探偵作家クラブ賞を受賞、同年から連載を開始した『点と線』もベストセラーとなります(≧∀≦)
清張はその後、精力的に執筆量を増やし、
『ゼロの焦点』『かげろう絵図』『黒い画集』『歪んだ複写』などを立て続けに執筆。
清張の執筆量は同時代の作家も驚愕の執筆量だったと言います。
◆1960年代に入ると、当時としては珍しいノンフィクション、『日本の黒い霧』の連載を開始し、「黒い霧」という言葉が流行すると同時に、ノンフィクションというジャンルを切り開いていきます。
直木賞の選考委員も務めます。
その後、歴史への関心が深まったり、海外を歴訪などし、ベドナム戦争に際しては、反戦広告募集の呼びかけ人の一人にもなりました(〃^∇^)o_彡☆
死の直前まで精力的に取材や構想をしていたが、1992年89才でこの世を去ります。
◆清張は、非常に幅広いジャンルで、しかも相当数の作品を残しています。
芥川や菊池寛に影響を受けて執筆していた「短編小説」(『黒い画集』など)、人間描写にも力を入れて書いた「推理小説」(『随筆 黒い手帖』など)、デビュー当初から書いていた「歴史小説」(『くるま宿』など)、またノンフィクションも執筆していました。
清張人気は今でも根強く多くのファンに現在も愛されています。
◆名言
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人間には、先入観が気づかぬうちに働きまして、そんなことはわかりきったことだと素通りすることがあります。
これが怖いのです。
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むかちん