むかちん歴史日記136 スポーツ超人インターハイシリーズ① 広島の黄金時代を築いた~衣笠祥雄
新宿から歴史を発信!!むかちんです(≧▽≦)
今回からスポーツ界の超人、スポーツ界全種目でインターハイをやっちゃうくらいの勢いで、巨匠たちを紹介していく、
スポーツ超人インターハイシリーズです!!!!!
第一回目の今回は
衣笠祥雄(1947-2018)
です!!!!
https://www.pasonica.com/%E8%A1%A3%E7%AC%A0%E7%A5%A5%E9%9B%84/
◆「鉄人」という愛称で親しまれた衣笠は、1947年に進駐軍の兵士として入ってきたアフリカ系アメリカ人の父親と日本人の母親との間に誕生します。
1964年の平安高等学校3年の時、春の第36回選抜高等学校野球大会と夏の第46回全国高等学校野球選手権大会に捕手として出場、ベスト8の成績を残します。
1965年、広島東洋カープに入団。1968年から一塁手としてレギュラーに定着し、
背番号が28であったことから、横山光輝の「鉄人28号」とかけて、「鉄人」という愛称で親しまれるようになります。
その言葉どおり、衣笠は小柄でありながら、体がとても頑丈で、ケガをしていても試合に出場することが多い選手でした。
1975年、四番の山本浩二とクリーンナップの一翼を担い、球団初のセ・リーグ優勝に貢献します。
1976年、盗塁王のタイトルを獲得します。
1979年死球を受けて、連続試合出場記録が1122でストップしてしまう危機が訪れますが、翌日の試合でも代打として出場、この瞬間に広島ファンだけでなく、対戦相手だった巨人ファンもその不死身ぶりに驚愕し、拍手喝采したといいます。
1987年にはメジャーリーグのルー・ゲーリックが保持する連続出場記録2130試合を抜き、同年、国民栄誉賞を授与されます。
この年、衣笠は引退を表明、連続試合出場記録は2215試合。
この功績をたたえ、1975年から衣笠がつけていた背番号3はカープでは永久欠番になります。
通算安打2543本(歴代5位)、通算本塁打504本(歴代7位)、通算打点1448(歴代10位)、通算得点1372(歴代5位)、500本塁打、200盗塁。
◆引退後は東京放送の野球解説者、またタレント活動なども行いました。
ただ衣笠はコーチや監督は一度も引き受けることはありませんでした。
衣笠は2018年、71歳で死去します。
◆名言
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(高校野球にしかないものは何だと思いますか)自分の成績を考えず、学校の勝利のためだけにプレーするという純真さ。プロと違って、自分が打っても、学校が負けたら終わりですから
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現役時代、周囲からは鉄人と呼ばれていても、やはり自分の中の不安と常に闘っていました
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現場が一番面白いというのは、誰よりも自分が一番わかっています
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なぜ、もう少し頑張れないのかとも思う。自分にご苦労さんとは言わない
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試合のある日に、休みたいと思ったことは一度もないですよ
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自分がここにいるのは、可能性があるということだ。可能性がなければ、この場所にはいない。そう思って、いつも自分を信じることだ
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むかちん