むかちん歴史日記129 九州有名人シリーズ⑤ 一橋大学の創設者〜森有礼
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(〃^∇^)o_彡☆
今日も九州有名人シリーズ第5弾!!一橋大学創設者、
森有礼(1847-1889)
を紹介しますヽ(・∀・)人(・∀・)ノ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%89%E7%A4%BC
◆森有礼は1847年、鹿児島生まれ。
薩摩藩第一次英国留学生として、イギリスへ渡ります。
ロンドン大学で歴史や化学、数学、軍事などを学びます。
当時のイギリスはヴィクトリア女王のもと、
世界各地に植民地を持つなど黄金期を迎えていました。
「旧習まみれの体を洗い流したい」。これは森が兄に送った手紙の一説ですが、
ここに森が英国で体感した日本との格差に対する衝撃の度合いが表れています。
森は学べば学ぶほど、限られた人間だけが技術を習得しているだけでは、
欧米には追い付けないという思いに駆られ、焦りを覚えます。
明治維新後に帰国し、福沢諭吉らとともに、明六社を結成します(*'▽')
森は米国の教育制度なども熱心に研究し、学校視察なども行います。
欧米では英国の哲学者、ハーバード・スペンサーの「社会進化論」が存在感を発揮していて、森もスペンサーに傾倒していきました。
世界の競争に生き残っていくには、「国家」の進化=科学技術の進歩が必要と考え、そのための教育制度の充実が必要と考えたのです。
1875年、東京銀座に私塾である商法講習所(一橋大学の前身)を設立します。
1885年、第一次伊藤博文内閣で、文部大臣を務め、東京高等師範学校(現在の筑波大学)の改革など教育行政にあたります。
伊藤は森の「国の独立」という観点からの教育制度の充実に感心し、森を初代文部大臣に充てたといわれています。
森は「学校令」を発布し、今でも続く「義務教育」の礎を築いたのです。
ですが、森のこうした動きは急進的な欧米主義者という見られ方をされるようになり、
大日本帝国憲法公布当日に国粋主義者に刺殺されます。43歳でした。
むかちん