むかちん歴史日記128 九州有名人シリーズ④~反骨のジャーナリスト 筑紫哲也
新宿から歴史を発信!!むかちんです(*‘∀‘)
今日は九州有名人シリーズの第4弾、反骨のジャーナリスト、
筑紫哲也さん(1935-2008)
(以下敬称略)
を紹介します(#^^#)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E7%B4%AB%E5%93%B2%E4%B9%9F
◆筑紫は1935年大分県出身。
政治部時代に当時の内閣総理大臣の三木武夫の番記者を務め、自民党のハト派との人脈を広げました。
1984年から1987年まで『朝日ジャーナル』の編集長を務めます。
◆朝日新聞社を退社し、1989年からかの有名なTBS「筑紫哲也のNEWS23」のキャスターを務めます。
筑紫哲也のジャーナリストとしての発言は、賛否両論あったものの、キャスターとしての地位を確立、同時期に放映されていた「ニュースステーション」の久米宏と並んで、民放ニュースキャスターとして広く認知されることになります。
筑紫はその反中央・反権力のスタンスから、賛否両論でしたが、
自身と違う意見を持った人々との交流も多く、その懐の深さがうかがえます。
例えば、小泉元総理とはイラクに対するスタンスが違いましたが、オペラ談義に花を咲かすなど、ある意味、ジャーナリストとしてのスタンスと人としての交流を分けていたのかなという部分もうかがえます。
筑紫は非常にヘビースモーカーでマルボロ赤を1日三箱吸っていました。
肺がんで禁煙後もたばこへの思いは変わらなかったそうです。
むかちん