むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記438 日本を支えた経営者・実業家たち③ 野村證券の創業者~野村徳七

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は日本を支えた経営者・実業家たちシリーズの第三弾!!!

 

野村証券の創業者

 

野村徳七(1878-1945)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E5%BE%B3%E4%B8%83_(%E4%BA%8C%E4%BB%A3)

 

野村徳七1878年に大阪に誕生します。

父である初代の徳七は両替店を開業していました。

 

1892年大阪市立商業学校(現在の大阪市立大学)に入学するものの、予科在学中の1895年に肺炎にかかり、休学。結局本科への進学は断念して家業へ専念することとなります。

 

家業は弟と共に従事していましたが、メインの両替は弟に任せて、かねてからの念願である株式売買を学ぶために、八千代商店に見習いにいきます。

そして、父から野村商店を引き継ぐこととなりました。

 

当時、経済界は不況にあえぎ、日露戦争の開戦も避けられない厳しい情勢でしたが、野村が引き継いだ野村商店は新店舗を竣工するなど、事業は発展していました。

 

1906年には調査部を設立して、独自の調査活動をはじめ、『大阪野村商報』を発刊して、一般顧客に配布しました。

前日の市況、特殊株の内容分析、経済時事問題などを載せたその斬新な内容は、当時他に例を見ない顧客サービスで、読者の間に大きな反響を呼びました。

 

1908年、徳七は朝日新聞社の企画による世界一周旅行の一員として欧米外遊の旅に出かけます。

このときに徳七はニューヨーク、とくにウォール街に強い衝撃を受け、帰国後の徳七の経営方針に大きな革新をもたらします。

 

野村商店は着々と財力を蓄え、1917年ついに株式会社に改組します。

徳七は「株式会社野村商店」設立を機に、実務は弟の実三郎にゆだねて、一線を退きます。ここから財閥への大発展へと向かう第一歩となりました。

 

徳七はかねてより構想として描いていた「大阪野村銀行」を1918年に創立します。

この大阪野村銀行の支配人には「日本興業銀行」から片岡音吾を招き、さらに銀行内に「証券部」も設置されました。

 

のち、この証券部は独立することとなり、1925年「野村證券株式会社」が設立されました。

 

徳七は1945年、狭心症によって、66歳で亡くなります。

 

むかちん