むかちん歴史日記418 改革・革命で影響を与えた人々③ フランス最後の皇帝となった~ナポレオン3世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はクーデターで独裁権力を掌握し、歴史上、最後のフランス皇帝となった
ナポレオン3世(1808-1873)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B33%E4%B8%96
◆ルイ・ナポレオン(のちのナポレオン3世)は1808年、ナポレオン・ボナパルトの弟の三男として誕生します。
1815年、ナポレオンの失脚によるブルボン家の復古王政によって家族ともども追い出され、長きにわたる亡命生活を余儀なくされます。
1830年に復古王政が倒れ、ルイ・フィリップの七月王政が誕生しますが、それでもフランスへの帰還は叶いませんでした。
ボナパルト家の帝政復古を呼びかけて、ストラスブールで一揆をおこし、これは失敗、アメリカ追放となります。
さらに1840年、ブローニュで一揆をおこしますが、ここでも逮捕され、今度は終身刑に処されます。
1846年、父の危篤に際して脱走し、ベルギーを経て、ロンドンへ逃れます。
1848年、二月革命によって七月王政が崩壊すると、フランスへの帰国を果たし、憲法制定議会議員補欠選挙で当選します。
そして同年12月の大統領選に出馬、「ナポレオン」という知名度の高い姓を活かして、当選を果たします。
第二共和政では大統領権力が弱かったため、国民議会から政治主導権を奪う必要があるとして、クーデターを計画、1851年に決行します。
これがルイ・ボナパルトのブリュメール18日のクーデターと呼ばれ、これによって国内の反対勢力を一掃、大統領に全権を認めた1852年憲法を制定し、独裁体制を樹立します。
そして1852年12月、ルイ・ナポレオンは国民投票の上で、皇帝即位を宣言し、第二帝政を樹立、ナポレオン3世と名乗りました。
クリミア戦争での勝利でフランスの国際的地位を高め、アジア諸国に対しては帝国主義政策をもって臨み、ナポレオン3世の治世下では領土を3倍に拡張させます。
しかし、メキシコ出兵の失敗やプロイセンのビスマルクの策動によって、1870年普仏戦争に追い込まれ、彼自身がプロイセン軍の捕虜となります。
これによってナポレオン3世の求心力は一気に低下し、第二帝政は倒されて、第三共和政へと移行します。
普仏戦争終結後、プロイセン軍から釈放され、イギリスへ亡命、その後も復位をあきらめてはいませんでしたが、1873年に同国で亡くなります。
64歳でした。
むかちん