むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記399 母の日:歴史上の強い母たち④ 皇帝の母は超勝気~マリア・レティツィア・ボナパルト

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は母の日:歴史上の強い母たちシリーズの第4弾!!!

 

フランスの皇帝となったナポレオン1世の超勝気な母親である

 

マリア・レティツィア・ボナパルト(1750-1836)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

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参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%88

 

◆マリア・レティツィア・ボナパルトは1750年にジェノヴァ共和国の大尉の娘として、

コルシカ島に誕生します。

 

14歳で結婚し、夫との間に5男3女をもうけ、ナポレオンは三男として誕生します(但し、長男が早期に亡くなるので、実質次男)。

 

コルシカ独立戦争がはじまると女性ながらに兵士として参加するという気の強さで、

戦争に臆病な男を怒鳴りつけるくらいの気迫だったそうです。

夫を38歳で亡くしますが、そこからは再婚もせず、女手一つで子どもを育てます。

 

独立戦争後、ボナパルト家が親フランス派に転向したことから、

コルシカ島を追われ、家族全員でマルセイユへ移住します。

 

貧しいながらも子どもを育て上げ、実質の長男であったジョセフが富豪の娘と結婚すると少しずつ暮らしが上向き始めました。

 

しかし、彼女自身はナポレオンが皇帝になることには反対の立場を取り、

1804年のナポレオンの戴冠式にも出席しませんでした。

 

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参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%88

 

実は中央に座っているのが、マリア・レティツィアなのですが、

彼女は実際の戴冠式には出席していないにも関わらず、

ナポレオンの命令によって、絵には彼女が描かれました。

 

また、ナポレオンが皇帝になったことによって、マリア・レティツィアは皇太后という地位を手にしますが、そんなことは意に介さず、全く贅沢をせずに質素倹約で暮らします。

彼女は経済的にどう変わろうともそのスタンスを曲げることはありませんでした。

 

フランス第一帝政が崩壊し、ナポレオンがエルバ島へ追放されると

彼女もローマへ亡命します。

 

そして実弟のジョゼフ・フェッシュとともに暮らし、

晩年は失明するものの、頭脳は明晰だったと言われています。

 

1836年、86歳で老衰のため亡くなります。

 

むかちん