むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記252 ドラムロールが鳴り響く、女性ノーベル賞受賞者たち② 女性2人目のノーベル賞受賞者~マリア・ゲッパート=メイヤー

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日はドラムロールが鳴り響く、女性ノーベル賞受賞者たちの第二弾!!

 

女性2人目のノーベル受賞者となった

 

マリア・ゲッパート=メイヤー(1906-1972)

 

を紹介します。

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%9D%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC

 

◆マリアは1906年ドイツ帝国・オーバーシュレジエンのカトヴィッツ(現在のポーランド領カトヴィツェ)に生まれます。

 

1910年、父親が小児科の教授になるため、ゲッティンゲンへ移住しますが、

マリアはそこで、大学の学生や講師の中で育ち、その中にはのちのノーベル賞受賞者にもなるフェルミハイゼンベルクディラック、パウリらもいました。

 

彼女自身ものちにゲッティンゲン大学で学ぶこととなります。

当時、女性でゲッティンゲン大学に入ることは困難な時代でありましたが、

数学を専攻して1924年に入学します。

 

しかし、数学で生計を立てていくことは難しかったため、彼女は物理学に専攻を変更します。

 

1930年に、原子における二光子遷移についての論文で学位を得ます。

 

同じ年にジョセフ・エドワード=メイヤーと結婚し、マリアはアメリカへ移住します。

 

1931年から1939年までボルチモアジョンズ・ホプキンス大学で働き、

1940年から1946年までコロンビア大学の研究員となり、

1946年シカゴ大学の講師-准教授となります。

 

1953年には国際理論物理学会で東京と京都に来日も果たしています。

 

シカゴ大学やアルゴンヌ研究所にいたころ、

原爆の父と呼ばれるテラーと出会い、原子核理論を研究していくなかで、

原子核構造で、中性子と陽子の数がある特別な場合だけ著しく安定な核を構成するという、マジックナンバー(魔法数)の謎を解明する理論を提出します。

 

その後、1972年にマリアはこの世を去ります。65歳でした。

彼女の死後、アメリカではアメリ物理学会によって、女性の物理学者の贈られるマリア・ゲッパート=メイヤー賞が創設されます。

 

むかちん

 

同じころ、同じテーマで研究していた、ドイツの研究者、ハンス・イェンセンと共著も出版し、このテーマで2人は1963年にノーベル物理学賞を受賞します。