むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記286 ランチで聞きたい経営者伝① 阪急電鉄創業者~小林一三

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日はランチで聞きたい経営者伝の第一弾!!!

 

阪急電鉄グループを築いた実業家

 

小林一三(1873-1957)

 

を紹介します。

 

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参照元 

http://www.hankyu-bunka.or.jp/about/itsuo/

 

 

小林一三1873年山梨県の商家に誕生します。

生まれてすぐに母とは死別、父とは生き別れたため、おじ夫婦に引き取られます。

 

高等小学校から、山梨県自由民権運動の活動をしていた加賀美平八郎の私塾に入り、その後上京して、福沢諭吉慶應義塾に入ります。

 

慶應義塾卒業後は三井銀行に勤務し、

日露戦争終結後、三井物産の大物である飯田義一や、

かつての上司で北浜銀行(三菱東京UFJ銀行の前身のひとつ)を設立した岩下清周に誘われ、

 

大阪で岩下が設立を計画する証券会社の支配人になるために1907年、大阪へ赴任します。

 

しかし、恐慌に見舞われたため、証券会社設立の話は立ち消えし、妻子を抱えて失業します。

 

ですが、小林は箕面有馬電気鉄道の話を聞き、

電鉄事業の同社には有望性があるとして、

岩下を説得し北浜銀行に株式を引き受けさせます。

 

1907年6月に「箕面有馬電気軌道」と社名を改めて同年10月に設立されると、小林は同社の専務に就任します。

 

この鉄道会社は社長が不在であったため、実質的には小林が権限を握ることになります。

小林は線路の敷設の前に、その予定地の沿線土地を買収して、宅地を作り、

付加価値を高めようと考え、1910年より分譲を開始しました。

小林は当時では珍しい割賦販売による分譲販売を行うことで、サラリーマンでも購入できるようにして、成功を収めました。

 

同年、箕面に動物園、1911年には宝塚に大浴場、さらには1914年には宝塚唱歌隊(のちの宝塚歌劇団)を立ち上げ、沿線を阪急グループの聖地と言わせるほどに発展させていきます。

 

そして、その沿線開発は乗客の増加に直結、社名も阪神急行電鉄と改め、

1927年には小林が社長に就任します。

 

一方、1920年に小林は日本初となるターミナルデパートの構想を打ち立て、

梅田駅にビルを建設、1929年には「阪急百貨店」という直営百貨店を梅田駅の新ターミナルビルに開店させます。

 

鉄道会社が百貨店を経営するという事例が世界的にも当時なく、その前途を疑問視されたが、阪急百貨店は世界恐慌の最中でも多くの客を集めました。

 

またあまり知られていない話ですが、小林は名前を一切出さず、日曜日のみ働くというかたちで東京急行鉄道の前身である田園都市株式会社を実質的に経営し、

阪急と同じ手法で、事業を進め、のちに社長となる五島慶太は小林の沿線開発の手法を受け継ぎます。

 

また野球に対する情熱も強く、のちに阪急ブレーブスとなる「大阪阪急野球協会」を設立します。

 

1934年、阪急の社長を辞任、同社グループの会長に就任したほか、

放漫経営だった東京電燈の立て直し、昭和肥料(のちの昭和電工)の設立にも携わります。

 

小林は近衛文麿総理大臣にも接近し、商工大臣に就任。

公職追放となり、その解除後は東宝の社長となります。

 

1957年、喘息により死去。84才でした。

 

◆名言

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お金がないから何もできないという人はお金があっても何もできない

 

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乗客は電車が創造する

 

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決断―なすべきことをなそうと決心せよ。いったん決心したことは必ず実行に移せ

 

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将来の志は常に高く持ちなさい。そして、日々の足元のことをしっかりとやり遂げることこそが、その志に到達する最も近道なのだ

 

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いちばん忙しい人間が、いちばんたくさんの時間を持つ

 

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どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は将来の見込みはない

 

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(ライスだけのお客様を歓迎した理由)確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子どもを産む。そのときここで楽しく食事をしたことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう

 

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素人だからこそ玄人では気づかない商機がわかる

 

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平凡なことを繰り返し一年二年三年と、行なっているうちに、人から認めれて、出世の道が開かれる。このような平凡の非凡を発揮することが大事である

 

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人に頼る事は失敗の第一歩である。最後に頼むものは自分以外には決してあるものじゃない

 

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真心で人に接するということは、必ず人を動かすもので、たとえ敵意を持っている人でも、いつかは好意を持ってくるようになります。単に感じが悪いくらいの人なら、誠意を尽せば、一層よい味方となってくれるでしょう

 

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運命は作るもの ー いずれの事業においても、会社組織でも、個人の仕事でも、大きくなる人、どこまでも発展する人、行き止まる人、縮こまる人、その運命は断じて偶然ではない

 

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1. 正直でなければならぬ。あの人には気を許すことができないと言われるようでは、信用は得られぬ。2. 礼儀を知っていなければならぬ。粗暴な言辞、荒っぽい動作では、これまた信用は得られない。3. ものごとを迅速、正確に処理する能力がなければならぬ。頼まれた仕事を催促されるようでは、やはり信用が得られない

 

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自分の持つ長所を確信することである

 

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サラリーマンとして成功したければ、まず、サラリーマン根性を捨てることだ

 

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下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ

 

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むかちん