むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記190 挑戦し続ける日本の経営者シリーズ⑤ 任天堂元社長~岩田聡

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)

今日は、挑戦し続ける日本の経営者シリーズの第5弾!!

任天堂元社長

 

岩田聡(1959-2015)

 

を紹介します(≧▽≦)

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E7%94%B0%E8%81%A1

 

◆岩田は1959年に北海道で誕生し、

高校時代にヒューレット・パッカード社のプログラム電卓「HP-67」を購入、

その魅力に取りつかれ、プログラムを勉強し、自作のゲームも製作しました。

 

1971年、東京工業大学に入学した岩田は、コモドール社のホームコンピュータ「PET 2001」を購入、それを販売していた西武池袋本店のパソコンコーナーに通いつめます。

 

大学在学中にその西武の店員が株式会社HAL研究所の設立にかかわることになり、

店の常連であった岩田とその西武のパソコンコーナーで出会った友人は

HAL研究所でアルバイトとして働くようになり、岩田はそのまま正社員になります。

 

1983年、任天堂から「ファミリーコンピュータ」が発売されると

岩田はこれに強い関心を抱き、岩田は京都の任天堂本社に出向いて、仕事請負の申し出を行い、『ピンボール』や『ゴルフ』といったソフトのプログラミングを担当するようになります。

 

1992年、HAL研究所が経営危機に陥ります。

そこで「岩田が社長をするなら援助をする」という援助者が現れ、

1993年、岩田は代表取締役社長に就任します。

 

それまで、岩田は経営とは全く無縁の立場ではありましたが、

優れた経営手腕を発揮し、『星のカービィ』シリーズなどを開発、ヒットし、

経営を再生させます。

 

社長業をやりつつ、プログラミングも引き続き行い、

当初はタッチしていなかった『MOTHER2 ギーグの逆襲』が約4年の歳月を経ても完成せずに行き詰っていた際には、

開発現場に出向いて、半年で大枠を作り上げ、1年で完成させるという手腕を発揮します。

 

◆2000年、岩田はその経営手腕を買われ、任天堂に入社します。

2002年に任天堂社長に就任。

もともと任天堂は山内家の同族経営企業であったため、わずか入社2年目の岩田が抜擢されることは異例のことでした。

 

岩田はゲーム離れが進む中で、幅広くゲーム人口を拡大していく必要があると考え

その一環として2004年「ニンテンドーDS」を発売。

年末商戦期に投入されたこともあって、年末年始だけで150万台売り上げます。

 

翌2005年には、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』は社会現象となり、略称の「脳トレ」は流行語として広く浸透しました。

 

2006年には家庭用ゲーム機「Wii」を発売。

また岩田自身が広告塔となり、任天堂のゲームを紹介する動画なども配信します。

 

 

2014年に胆管腫瘍が発見され、切除しますが、

2015年容体が急変し、そのまま逝去します。

満55歳でした。

岩田の死は世界でも大きく報道されました。

 

◆名言

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わたしは、ずっと前から、自分が誰かと仕事をしたら「次もあいつと仕事をしたい」と言わせよう、というのがモットーだったんです

 

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わたしはいつもそうなんですが、好きか嫌いかではなく「これは、自分でやるのがいちばん合理的だ」と思えば覚悟がすぐに決まります

 

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自分は、他の人が喜んでくれるのがうれしくて仕事をしている。それはお客さんかもしれないし、仲間かもしれないし、仕事の発注者かもしれないけど、とにかく私はまわりの人が喜んでくれるのが好きなんです。まわりの人が幸せそうになるのが自分のエネルギーなんです

 

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安心して「バカもん!」と言える人と、腫れ物に触るように叱らないといけない人がいるんですよね。で、これはねぇ、ものすごい差なんです。こちらから与えられる量も、その人が吸収できる量も、ものすごく変わってくるんですよ

 

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「いまよいとされているやりかたはほんとうに正しいのか」ということをわたしだけでなく会社じゅうの人がうたがってかかって、変わってゆく周囲のものごとに敏感であるように仕向けていかないといけない、と考えています

 

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リスクをとらないところには達成感はないですから……といってしまうと、根はバクチ打ちなのかなぁ

 

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逆にわたしはそういう批評家や評論家ではいたくないんです

 

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わたしが見つけた天才の定義があります。人が嫌がるかもしれないことや、人が疲れて続けられないような事を、延々と続けられる人、それが「天才」だとわたしは思うんです

 

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「本当にやりたそうにしてる人」に仕事は渡したいんですよね

 

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一般に、新しい提案に納得してすぐに動くのは、全体のせいぜい2割。6割が様子見、残りの2割は抵抗勢力に回るといわれていますが、新しいチャレンジに慣れているはずの社内でさえ、最初からその気になったのは2割強だったと思います

 

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このまま過去の延長線上で仕事を続ける限り、ゆっくり死ぬのを待つことになる

 

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むかちん